金子 いや、違いますね。学芸大は先生になるための学校だから、自分もそういうキャラクターにして、その父親を教師にして。
だけど本当は映画監督になりたくて、でもなれるかどうか分からない焦りが常にあり、このままじゃいけないみたいなのをそのまま映画にした感じですね。
高校1年で最初の映画を作る
金子 最初に映画を作ったのが高校1年の文化祭の時。それは作家というよりはクラスをまとめる活動というか、それでクラスの団結を高めるんだという意味で映画を作った側面があった。
――その時から監督だったんですか?
金子 そうですね。高校1年の時に文化祭で何をやるかというのをクラスで話し合った時に、みんなめんどくさいという感じの中で「映画をやろう」と提案した。
ただ、映画をやろうと言った理由は、生徒会の先輩から「去年、クラスで映画を作ったらすごい盛り上がってさ」と聞いて、「ああ、映画だ、映画作りたい、映画だ、映画だ、映画を作ろう!」となってしまったからなんです。
――みんなが一体化できたと聞いたからですか?
金子 それと、前から描いていた漫画が壁にぶち当たって。
――漫画は本格的に描かれていたんですか?
金子 漫画は物心ついた時から描いていた。紙にボールペンで描いていて、『COM』という雑誌に投稿する時に、初めてペンとインクを使ったらうまく描けなくて。
中学2年か3年の時に投稿した作品が「今月の応募者」というところに載って、それですごくプライドが傷ついたんですよね。
――名前が出たんですね。
金子 「今月の応募者」って最低じゃないですか。佳作でも入選でも何でもないから。それまでは友達に「金子は漫画がうまい」って言われていたのが、一気に挫折した。
それと、「クラスで映画を作るというのは戦いなんだ」みたいに政治的な活動としても正しいと言う先輩がいて、それで自分の中で一気に盛り上がった。
だけど、それまで8ミリをやっていたわけじゃないんです。三鷹の駅前のカメラ屋でシングル8のカメラをタダでレンタルさせてくれる。500円持って行くと3日間借りられて、返すと500円も返ってくる。シングル8を普及させたいということがあったんですね。
だから、クラスで1人500円集めて、そうすると2万円になるから、それが全部フィルム代になった。カメラはその時初めて使ったんです。