高校で8ミリ映画製作の経験を積んだ金子修介監督。大学に入って出会ったのが、後に数々の傑作アニメーション映画を演出する押井守監督だった。日本映画界の「青春時代」をたどるインタビューシリーズ第2弾。(全4回の2回目/最初から読む)
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大学で押井守さんと出会う
金子 大学に入ったら映像芸術研究会というのがあったので部室に行ったんだけど、いつも鍵がかかっているわけですよ。
自治会に聞いたら「あそこは押井さんという人が鍵を持ってる」って。「明日連絡しておくからまた3時に来て」と言われて行ったら、そこで押井(守)さんが鍵を開けて、「こんなところに入りたいの?」みたいな。
――押井さんは何年ですか?
金子 押井さんは5年生。それで、もう一人同じ5年生の人がいて、僕が押井さんとしゃべっているとその人が現れて、「よお、押井。ブニュエル見たぜ」。これが映画青年かと衝撃的でありまして。
しばらくして『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を見て自分も押井さんに「ブニュエル見ましたよ」と言えた。「何ですか、あの映画は。よく分からないです」と言ったら、押井さんは「分からないんじゃなくて、面白い、簡単な映画なんだよ。ただブルジョワをバカにしてるだけの映画なんだ」ということを言われて、「ああ、そうか」と。
そういうようなことを延々と話していると、合気道部が外で練習しているんです。その合気道部は、映研の部室を譲渡されると約束をしていたと主張するんですね。
――部室を明け渡せと?
金子 自治会の仲介で、合気道部と我々、僕と押井さんが交渉した。かつて映画研究会だった時に卒業生が合気道部に部室を譲ると約束をしたというけれど、証明できない。映像芸術研究会を押井さんが立ち上げた時には、映研から部室をもらったという覚書がある。
僕が論理的にガンガン言ったら、相手は泣き出して。逆に僕が冷静になって論破した時に、押井さんから「金子の冷酷さを垣間見た」と言われたんですよ。
――助けてあげたのに(笑)。
金子 それをアイデアにして『キャンパスホーム』という映画を作るんです。部室の取り合いになる物語を映画にした。これは押井さんにウケて。「あんた優秀だよ」とか言われていい気になってた。