監督だけが分かっていない瞬間もある
――映画監督の勉強としては、8ミリで自主映画を撮ったほうが勉強になるなという感じですか。
金子 その時はそう思いましたよ。撮影所ということの因習も含めて、学んでいくことよりも、自分でカメラを回すほうが映画というものに本質的に近づけると思っていたんです。
でも、高校、大学の時は素人のクラスメイトたちをやる気にさせるような感じで一緒にやっていたのが、ロマンポルノになればみんなプロだから、常にみんな力を出し切っていく。
そういう中で、良い監督の時はいいけれど、そうでもない監督の時の組の同調圧力みたいなものには常に反発を感じちゃうんです。ただ、そういった組のいい時と悪い時の差みたいなものは体得したかもしれないですけどね。
――撮影所の同調圧力でスタッフが一体化するわけですよね。それでいい方向に行けばいいんだけど、悪い方向に行く時もあると。
金子 それはやっぱり監督のさじ加減にかかっている。意味が分からないで粘る人も中にはいるので、そうするとスタッフが最初は付いていこうとするけど、だんだん付いていけなくなる。
――高校時代の民主的な映画作りの話をされましたけど、それにもつながる気がします。
金子 まあ、そうなんですよね。
――どこまで監督がわがままになるかって、スタッフ側の立場と監督になった時では何か違ったりします?
金子 一時監督はわがままでなきゃいけないという論説があったような気がするけど、今はあんまりそれが許されないと思うんですけどね。
――金子さん自身はどうですか?
金子 やっぱりわがままになる時はありますよね。なんで分かってくれないんだと思ったり、自分だけが分かっているのに伝わらないとか。そう思ったり、スタッフのほうが分かっているんだと思ったり。場面場面で違うので。
確かに監督だけが分かっている瞬間もあるんです。でも、監督だけが分かってないという瞬間もあるんです。それにアッと気が付いたりする。だから、お互いに補完し合っているということはあるんじゃないかと思うんですけどね。集団作業というのは。
――そうですね。監督がカラスは白だと言えば白だみたいな、正解は監督の中にしかないみたいな考え方もありますけど。
金子 そうですね。そういう意味では、いろんな監督の現場を助監督の時に見てきたことってやっぱりプラスだったのかな。悔しく思い返すみたいな感じはありますけどね。
かねこ しゅうすけ 1955年東京都生まれ。高校時代から8ミリ映画の製作を始める。78年東京学芸大学卒業後、助監督として日活に入社。84年『宇野鴻一郎の濡れて打つ』で監督デビュー。
主な監督作品に『1999年の夏休み』(88年)、『就職戦線異状なし』(91年)、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年)、『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)、『DEATH NOTE デスノート』(06年)、『信虎』(21年)、『ゴールド・ボーイ』(24年)など。
こなか かずや 1963年生まれ。高校、大学で8ミリ自主映画を撮り、『星空のむこうの国』(86年)で商業映画デビュー。主な作品に『四月怪談』(88年)、『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(06年)、『七瀬ふたたび』(10年)など。2023年自身の8ミリ自主映画時代を描いた『Single8』を発表。