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 あとから文化資本を形成するのは、そうすればビジネスで勝てる、みたいなことではありません。次のように考えてみたいのです。

・文化資本の形成とは、多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路を作ることである。

 そこで、柔軟体操を行って、精神を動かせる範囲を広げてみようというわけです。

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 あるジャンルの面白さは、別のジャンルの面白さにつながります。たとえば、ファッションの判断は、美術や文学の判断ともリンクする。ファッションが文学に、料理に、仕事の仕方につながるといった拡張を信じられない方も多いと思います。だんだんと体を柔らかくして、「ものごとを広く見る」モードに入ることが、センスを育成していくことです。

 ここでも留保ですが、ひとつの専門分野に自分を限定し、その論理や倫理観に従って生きることが、真面目さであり、プロフェッショナルであり、という基準もあります。その基準からすれば、この本でお勧めするような「センスの拡張」は、そんな余計なことはしなくていい、と却下されるかもしれません。そうしたご意見も、尊重すべきだと僕は思います。頑固一徹にひとつの領域を守ることも人間のすばらしい力です。

センスの良し悪しから、その彼方へ

 本書は最終的に、センスの良し悪しの向こう側、センスの彼方について考察します。

 センスがいいも悪いもない、というのは、人それぞれの感性の面白さを肯定することです。それだけだと、「みんな違ってみんないい」という話になりそうですが、もうちょっと複雑な話をすることになります。「みんな違ってみんないい」というのは、ウソっぽい明るさがあると僕は感じますが、もっとりのある話をします。むしろ、人間の「どうしようもなさ」をどう考えるかという話になります。どうしようもなさ、そこには、なにか否定的なものが含まれます。人が持っている陰影です。そのことと、先ほど述べた、ひとつのことに自分を限定する、あるいは「せざるをえない」ということが関係してきます。

 そこに至るまでの過程で、いったん、ある意味でのセンスの良さを考えるわけです。逆に、「センスが悪い」ことを定義することにもなります。それをふまえた上で、センスとアンチセンスの複合体として人間の陰影を考えることになる。

 イントロはこのくらいにしましょう。センスとは何か、センスの良し悪しとはどういうことか。それは、歴史を通して、美術や文学などにおいて何が評価されてきたのかということと、ある程度関係しています。その経緯にも触れることになります。

 センスの良し悪しから、その彼方へ——。

 まずは、センスというカタカナ語の扱い方をあらためて検討しましょう。

センスの哲学

センスの哲学

千葉 雅也

文藝春秋

2024年4月5日 発売