1ページ目から読む
3/4ページ目

謝罪やお礼でいろいろな人に電話をかけまくり…

 だから後年、お義母さんが「雅弘が内田家に入ってよかった。出会えてよかった」って言ってくれたときは、やっと家族として認めてもらえたと感動したの。「樹木さんが雅弘のことをすごく大事にしてくれたことが何よりうれしかった」と言ってくれたのは、母の密葬の日ね。

本木 違うよ、樹木さんが生きているときだよ。

 

内田 そうだった?

ADVERTISEMENT

本木 入院していた病室で。

内田 あ、そうそう。母が、最後の1ヶ月入院したときね。あのときは母の最期が近づいているのかと思い、あまりに気が動転していたので忘れていました。確かに、母がいろいろな人にお礼を言ったり謝ったりしたいというので、片っ端から電話をかけまくった。最初にかけたのが、お義父さんとお義母さんにでした。

本木 桶川に私と子どもたちが行って、あなたは病室にいて、ビデオ通話で顔を見ながら話したんだよ。亡くなる10日くらい前。

内田 そうね、母はほとんど声が出なかったけど。

 

本当の意味で受け入れるまでに10年かかった

本木 私の母はずっと伝えたかった。息子を大事にしてくれているお礼を。「直接、樹木さんに言えてよかったわ、ホッとした」って喜んでいたよ。

内田 割り切れない思いで子どもを送り出す、負い目を感じながらその子どもを迎えるというセンシビリティがあったからこそ、最後には古風な女性ふたりがそんなふうに通じ合えたというのは、とても愛おしい。ああ、こういうことを味わうために家制度ってあるのかなとも思う。

本木 母があなたたちのことを本当の意味で受け入れるまでに、10年はかかったということね。

内田 うわ、鈍感だった、私。てっきり最初から受け入れてもらっていると。