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 多くのエンジニアが一睡もせず、日が昇る前にここまでのことを終えた。台湾メーカーの臨機応変な対応やスピードや効率は、どれも称賛に値するのではないだろうか。

困ったときはライバル会社でも助け合う

 地震そのもので被った損失のほか、半導体工場にとっての最大の脅威は電力供給の寸断だった。台湾の工場が地震後に速やかに操業再開できた2つ目の理由は、台湾電力が即座に応急処置をして、予定よりも早く電気を復旧してくれたからだ。当初、台湾電力の施設も大きな被害を受けたため、サイエンスパークへの電力供給の再開は数日かかると言われた。しかし、サイエンスパークの同業組合が台湾電力と政府に掛け合ったのだ。

 台湾の半導体メーカーは、平時は互いにしのぎを削っているが、災害時には助け合っている。

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 工場が最短で復旧できた3つ目の理由は、この同業他社との協力体制だと私は思う。

 たとえば地震の翌日、サイエンスパークはまだ停電中だったが、自家発電装置を長時間使用したために、午後4時半ごろに世大積体電路(せだいせきたいでんろ、WSMC 以下、世大)[まだTSMCとの合併前]で出火した。このとき、世大から一番近かった力晶から人がかけつけ、続いて他社の工場の従業員や消防隊も相次いで到着し、一同が力を合わせて1時間後に無事火を消し止めたということもあった。

 サイエンスパーク内の従業員は所属する会社が違っても、もともとは同僚や同級生や同窓生同士だ。何か起きた時には自然と救いの手を差し伸べているため、こういうことも起きるのだろう。

 1997年にUMC(聯華〈れんか〉電子)グループの聯瑞(れんずい)で火災が起きて、UMCがつぎ込んだ100億新台湾ドルがパアになった。そのときUMCはウィンボンドとの訴訟の真っただ中だったが、UMCの董事長だったロバート・ツァオ(曹興誠〈そうこうせい〉)は記者会見を開いて、ウィンボンドに対する訴訟を取り下げると発表した。火災のときにウィンボンドが、両社の間のわだかまりを超えて、火災に見舞われた聯瑞を助けに行ったからだ。