文春オンライン

かつての野球に「ホームラン」は存在しなかった…大谷翔平が活躍するアメリカで史上初のホームランを打った人物とは?

『大谷翔平とホームラン』より #2

2024/05/30
note

創成期はホームランに関する明確な記述はない

 この時代は、放物線を描きながらフェンスを高々と越えていくホームランがまだ存在せず、ホームランとは、外野手の間をボールが抜け、打った選手が全速力で塁間を走り抜ける時代だった。バーンズのホームランが記録されたシンシナティの本拠地アベニュー・グラウンズは、収容人数が4000人とされているが、この日にどれだけの観客動員があったのかは記録に残されていない。公式記録として残る史上初のホームランを見届けたファンは、果たして何を思い、何を感じたのだろうか。

 外野フェンスができる前に制定、改良されてきた統一ルールでも、創成期はホームランに関する明確な記述はない。ルールブックにホームランに関する記述が掲載されたのは、1888年に、

「外野フェンスまでの距離が210フィート(約64メートル)の球場で、打球がフェンスを越えた場合はグラウンドルール・ダブル(エンタイトル・ツーベース)とする」

ADVERTISEMENT

 というものだった。

写真はイメージです ©アフロ

現在に続く統一ルールが誕生

 その後、1892年に距離が235フィート(約71.6メートル)、1926年に250フィート(約76.2メートル)に延長された。しかし、すでにベーブ・ルースが活躍していた1926年当時は、ほぼ全てのボールパークで外野フェンスまでの距離が250フィート以上あったため、フェンスを越えた打球がグラウンドルール・ダブル扱いになることはなかった。すなわち、ホームランの誕生である。

 現在に続く統一ルールが誕生して、ボールパークの原風景がうっすらと浮かび上がり、近代野球の夜明け前の時代、ホームランは小さな小さな産声を上げたのだ。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

大谷翔平とホームラン

大谷翔平とホームラン

AKI猪瀬

KADOKAWA

2024年4月26日 発売

かつての野球に「ホームラン」は存在しなかった…大谷翔平が活躍するアメリカで史上初のホームランを打った人物とは?

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー

関連記事