米大リーグ、エンゼルスからフリーエージェント(FA)になっていた大谷翔平(29)がドジャースに移籍することが決まった。契約は10年総額7億ドル(約1015億円)で、プロスポーツ史上最高額という驚愕のメガディールだ。
合意の寸前にトロント・ブルージェイズの名前が急浮上する“波乱”があったが、実は大谷の「スポーツ史上最高契約」は、あの波乱によって実現したという声もある。
大谷がドジャース入りを発表したのは日本時間12月10日未明、自身のインスタグラムに英語で投稿。その後、大谷の代理人を務めるネズ・バレロ氏も速やかに「個性的で歴史的な選手のための、個性的で歴史的な契約になった」との声明を出した。
「大谷の気持ちはかなり前から固まっていたのではないでしょうか」
米メディアが血眼になって探っていた二刀流の去就だが、バレロ氏は交渉した各球団にかん口令を敷いて情報管理を徹底したと言われ、これだけの大型契約がギリギリまで伏せられていたことも「個性的で歴史的」だった。
ただ複数の米球界関係者によれば、大谷がドジャースへの移籍を決断したのはかなり早い時期だった可能性があるという。とある米大手マネジメント会社の代理人は、その背景を説明する。
「大谷は金額より勝てる球団を優先する選手ですから、11年連続でプレーオフに進んでおり、最もワールドシリーズ制覇に近い球団の1つであるドジャースは最適でした。エンゼルスと本拠地が近く、ほとんど環境を変える必要がないのもプラスです。右肘を手術した執刀医はドジャースのチームドクターなので、リハビリにも最適。大谷の気持ちはかなり前から固まっていたのではないでしょうか。選手としても、ドジャースタジアムはセンターまでの距離が短く、センターからレフト方向へのホームランが多い大谷には有利ということも当然考えたと思います」
大谷とドジャースの関係は、岩手・花巻東高時代にさかのぼる。当時ドジャースの日本担当の小島圭市スカウトは大谷のもとを足繁く視察に訪れており、大谷自身も一度は日本プロ野球を経ずにメジャーへ挑戦することを決意していた。結果的には日本ハムの栗山英樹監督(当時)らの説得でプロ野球を選んだが、メジャーの本命はドジャースだった。