ホームひとつだけの小さな無人駅に降り立つとぽつんと像が建っていた。近づいてみると…
武豊駅は、ホームがひとつあるだけの小さな無人駅だ。これといって何があるわけでもない小さな駅舎を出ると、なんだか殺風景な駅前広場が待っていた。その真ん中には、ぽつんとひとつの像が建つ。近づいて見ると、駅員さんの格好をした胸像で、「髙橋熙君之像」とある。
碑文を読んでみると、髙橋君は1953年の台風13号で武豊線の線路が流失した際に、その旨を発煙筒を持って知らせ、列車の運行を停止させたのだという。
ただ、線路が流失するほどの暴風雨。近隣の川は氾濫し町中も濁流に呑まれていた。結果、髙橋君は濁流に呑まれて殉職してしまう。この自らの命を賭して多くの乗客を救った髙橋君の行動が国鉄職員の鑑として顕彰され、1年後の1954年に碑が建てられたというわけだ。
そんな秘史を教えてくれる顕彰碑が真ん中にぽつり。その広場の向こう側には、昔ながらの駅前旅館のようなものもあった。反対側には大きなマンションなども建っているから、武豊駅前の風景は時代と共に少しずつ変化している最中なのだろう。
マンション群を抜けていくと5分ほどのところにまた別の駅が
駅舎の裏側、駐輪場とマンションの間を抜けてゆくと、JAバンクの武豊支店があって、駐車場の脇から国道247号に通じる細い路地。そこにはかつての駅前商店街の面影が残る。もしかすると、いまの駅舎になる前の武豊駅はこちらがわに正面を向けていて、国道に通じる細い駅前商店街があったのかもしれない。
武豊駅のすぐ西側には、名鉄河和線の線路も通る。こちらにも知多武豊という駅がある。
ふたつの武豊駅は幅の広い県道で結ばれていて、歩いたところで5分ほど。名鉄の知多武豊駅のほうには駅前にコンビニやら武豊町役場やらもあって、武豊町の玄関口らしさを持っている。電化路線の名鉄と、長らく非電化だったJR武豊線。その違いが、ふたつの駅前風景にも現れている。
JR武豊線の武豊駅から国道247号に出て、しばらく国道沿いを歩く。国道より東側は細い路地が入り組んだ住宅地になっていて、すぐ南側には堀川という名の小さな川が流れている。