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「海外からやってきた原料」でできた“名古屋メシ”の原点

 武豊停車場跡地から国道を渡り、細い路地を進んでゆくと、そこは工業地帯や港町とはまたうってかわった町並みが続く。黒壁の蔵が建ち並び、いかにも老舗といった風合いの看板を掲げる醸造所が軒を連ねる。

 この路地を行ったり来たりしている限りでは、とうていこの町が明治のはじめに鉄道と港が整備されたことで発展したとは思えない。むしろ、江戸時代からの長い歴史を持つ町並みと言いたくなるような趣だ。

 こうした醸造所で作られているのは、いわゆる“たまり醤油”だ。愛知県内でそのほとんどが生産・消費されるという“名古屋メシ”の原点ともいえる、豆味噌。その豆味噌づくりの副産物として生まれるたまり醤油も、愛知県の独特な食文化を生み出してきた伝統的な調味料だ。武豊は、そんなたまり醤油の名産地のひとつなのである。

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 ただ、江戸時代までの武豊では、港としてもそうであったのと同様に、醤油醸造もそれほど盛んでなかったという。近代になって武豊港が開港したことで、主に中国大陸からの大豆や塩の輸入基地となる。

 大豆と塩は、すなわちたまり醤油の原材料だ。こうして、武豊港が国際港となったことで、原材料の入手が容易になった武豊の町では、飛躍的に醸造業が発展することになる。昭和初期には50軒ほどの蔵が並び、ピークを迎えている。

 

 その後、戦争の時代に入ると原料の確保が難しくなり、徐々に衰退の道を歩む。戦後には武豊の醸造業者は半分ほどにまで減っていたという。さらに、戦後の食文化の洋食化も手伝い、いま武豊で醸造を営む業者は数えるほどになった。