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 川を東に辿ると水門があって、その奥はもう海だ。向かいの埋立地を含め、海沿いには工場群が並ぶ。尾張と三河を隔てる境川が三河湾に注ぎ込む河口一帯は衣浦港といい、多くの工場が集まる工業地帯。武豊もその一部に含まれる、というわけだ。

 師崎街道とも呼ばれる国道をさらに南に歩くと、ユタカフーズの本社工場もある。また、武豊駅の南西側、名鉄の線路沿いにも大きな工場が広がる。武豊という町は、名古屋郊外の工業都市といってよさそうだ。

 

 もちろん工場ばかりではなく、合間には住宅地も目立つ。最近になって整備されたのであろう新しめの住宅地ゾーンもあるし、昔ながらの住宅が集まるエリアもある。大きな神社が鎮座するところを見れば、この一帯の町としての歴史はなかなかに古いのだろう。

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さらに歩くと“停車場跡地”の文字が。駅から20分も離れたこんなところに…?

 そんな武豊の町を、さらに南へと進む。駅からだいたい20分は歩いたところだろうか。国道沿いに「武豊停車場跡地」という立派な碑を見つけた。

 その傍らは小さな公園として整備されていて、屋根に覆われた転車台も保存されている。そう、駅前から1kmちょっと離れたこの場所こそが、武豊という町と武豊線の歴史的な意義を教えてくれる遺構なのである。

 武豊線と武豊駅が開業したのは、1886年3月1日のことだ。そのとき開業した区間は、武豊~熱田間。2か月後に延伸し、名古屋駅が開業したのはそのときである。

 まだ東海道線はまったく完成しておらず、もちろん名鉄などは影も形もない時代。愛知県、というよりは東海地方全体においても、武豊線ははじめての鉄道路線であった。