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「命の代わりはない」

 一方、つんくさんは、声よりも生きることを選択した。

つんくさん ©文藝春秋

 ずっと喉の不調に悩まされてきたつんくさんが、最初に喉頭がんと診断されたのは、2014年2月、45歳のときだった。

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 つんくさんも、当初は声を残せる放射線治療(分子標的薬と併用)を選んだ。著書『「だから、生きる。」』(新潮社)によると、放射線の影響で喉が焼けたり、頸が固くなって回りにくくなるなど、その治療はやはり生易しいものではなかったようだ。

 組織を採って調べる生検でがん細胞が見つからなかったことから、同年9月にいったん「完全寛解」と公表したが、息苦しくなるほど喉の腫れがひどくなり、あらためて調べた結果、がん細胞が残っていたことが判明した。

 そのため、つんくさんは喉頭を摘出する手術を決断した。そのときの心境を著書でこう綴っている。

「なにより妻と子供のために、僕は生きなければならない。(中略)歌い手として、声との別れは本当に苦しい。でも、命の代わりはない。僕の代わりもどこにもいない」

©iStock.com

 つんくさんは、術後に固いものが食べづらくなり、62キロほどあった体重が、一時は52キロまで落ち込んだ。だが、プロデュースを依頼された母校・近畿大学の入学式に参加することを目標に、奥さん手作りのやわらかい料理を食べ、リハビリに励んだ。

 その甲斐あって、2015年4月、つんくさんは入学式の舞台に立つことができた。その姿をテレビで見て、感動した人も多かったのではないだろうか。声はなかったけれど、その表情には言葉以上に力強いメッセージが宿っていた。ここにもロックな生き様があった。

©文藝春秋

 同じ病を得た人たちの中にも、2人の姿に勇気づけられた人が多かったのではないか。つんくさんにはこれからも、プロデューサーとして活躍する姿を見せてもらいたい。また、清志郎さんにも、銀河系遥か彼方から、まぶしい光を発し続けてほしいと願っている。

出典:文春ムック「有力医師が推薦する がん手術の名医107人」(2016年8月18日発売)