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「もちろん、うれしいです」突然のプロポーズに即答…カナダに移住したから手にできた“同性パートナーとの結婚”

『ルポ 若者流出』より#4

genre : ライフ, 社会, 読書

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「ばれてはいけない」、幼少期から偽り続けた自分

 1977年、茨城県水戸市で生まれた。物心ついたときには、本当の自分を押さえ込んで生きていた。

 幼稚園のとき、好きになったのは同じクラスの男の子だった。「お気に入りの女の子はいるの?」と大人たちに聞かれると、適当な女の子の名前を出してごまかした。

「なんとなく、(男の子が好きなことが)ばれてはいけないということを感じ取っていました。テレビ番組でも『おかまキャラ』が出ると、みんな『ひゃー』というようなリアクションをしますよね。そんな構図みたいなのがあるのを子どもながらに感じていました」

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 この「ばれてはいけない」という気持ちは、年齢を重ねるうちに確信へと変わっていった。家庭の事情で転校した熊本県内の小学校では、「ホモは気持ち悪い」と口にする同級生の男の子がいた。学校の先生でさえ、同性愛者をバカにしたようなことを言うこともあった。

 小学校高学年になると、自分が他人と違うことをはっきりと自覚した。そして、その原因は「男の子が好きだから」。そう考えるようになった。

「こんな人間は九州に自分しかいないと思い込んでいました。病気じゃないかと自分を疑ったこともあります」

 同年代の男の子とは話が合わず、女の子のグループのほうが一緒にいやすかった。「女の子のほうが少し大人ですよね。わりと受け入れてくれました」。だが、いつも女の子と過ごしていることが、周囲の男の子には、女の子と仲良くしようとしているように映ったようだった。「女たらし」と呼ばれ、いじめの原因となった。

 一番つらかったのは、家族の前でも「ゲイ」ではない普通の男の子を演じ続けなければならなかったこと。「家族は一番近い存在。油断したら話してしまいそうでした」。学校から帰っても、気の休まる時間はなかった。「魔法の天使クリィミーマミ」や「魔法のプリンセス ミンキーモモ」といった女の子が好むアニメを本当は見たかったが、自分からは言い出せない。妹が見るのを口実に一緒に見るようにしていた。

親しくなるほど罪悪感が募り仕事を点々と

 熊本県の工業高校を卒業後、古着の輸入販売の仕事に就いたが、2年ほどで辞めた。その後は、工事現場や飲食関係のアルバイトなどを数年ごとに渡り歩く生活が続いた。自衛隊に入ったこともあった。

 仕事を転々としたのは、職場の同僚と親しくなるほど、周囲に自分を偽らざるを得ないことへの罪悪感が強まるというジレンマに陥ったからだ。

「距離が近づけば近づくほど『彼女いるの?』とか聞かれて、偽らないといけなくなる。職場の居心地が良くなる頃には、出て行くという繰り返しでした。ゲイだとばれそうになって辞めたこともありました」

 親しくなると、厚意からスナックやキャバクラへと連れて行かれ、女性を紹介してくる人もいた。だが、山村さんにとっては苦痛の時間だった。

 交際するのも難しかった。30歳の頃、ある男性と数年つきあったことがある。だが、それでも、常に意識していたのは、人前では男友だちの距離を保つこと。駅では電車を待つときもあえて1人分のスペースをあけて、関係がないように装った。映画館ではカップルのように寄り添いたかったが、まわりを意識して、そうはしなかった。「絶対に周囲にばれたくない」という相手からの強い希望もあった。

「男女のカップルと一緒で、僕たちも手をつなぎたいわけですよ。だけど、絶対にできなかった」