突然の出来事に、「ようやくできた家族を失ってしまった」と、悲しみのどん底に突き落とされた。そうしたなかで、「コモンロー」で結ばれていた意味もあらためて受け取れた。法的にパートナーとして認められているため、彼が契約していた賃貸マンションの部屋にも住み続けることができ、パートナーがもらうはずだった年金も遺族として受け取ることができた。
ゲイであり、パートナーがいることを周囲に明らかにしていたことで、職場でもパートナーを失ったと伝えると、上司からは「落ち着くまでは休んでいい」と配慮され、1カ月ほど休めた。
「愛する人を失うのは、自分が消えてなくなりたいほどのショック。でも、日本ではそれを表現すらできない人も少なくない。家も追い出され、葬式に参加できないこともありますよね。残酷すぎませんか。カナダでは、ひどく悲しい感情とともにやらなければならないことが多くありますが、色々なサポートを受けられることで、前に進むきっかけにもなります」
山村さんはこれからもカナダで暮らす予定だ。
「彼は、日本を脱出してきた僕の気持ちをくみ取って、カナダで暮らすためのレールを敷いてくれた。そのレールに沿って生きられるなら僕はそういたい」
日本の社会制度は、性的マイノリティーがいることを前提につくられているとは言い難く、今のままでは山村さんのように悲しみのなかにいる人を見捨てることになりかねない。多様な社会にはなにが必要なのか、日本人も考えなければならない時期にきている。