カナダだから手にできたパートナーとの「結婚」
カナダへの渡航を決めたのは2013年、36歳の頃だ。カナダに渡った友人から「飲食店の仕事を手伝ってほしい」と言われたことがきっかけだった。カナダについてはほとんどなにも知らず、「ゲイフレンドリー」の国だということをゲイ仲間の「噂」として聞いたことがあるだけだった。
それでも一念発起して、カナダに渡ると、すぐに日本との違いに気づかされた。街中には、男性同士が子どもを連れて歩く姿が当たり前のようにあった。日本では、いつも「男友だち」を演じていたことを考えると、信じられない光景だった。ゲイであることを打ち明けても平然と受け入れられた。
「自分の苦しみはなんだったんだろうか。日本であんなに悩む必要がなかったと思いました」
1年ほどレストランで働いた後、ビザの関係で帰国。だが、自分をオープンにできるカナダでの暮らしを知っただけに、自分を偽らざるを得ない日本での生活はこれまで以上に「地獄」のように感じた。カナダでつくった人脈をたどり、2015年に再びトロントに戻ることにした。
今度は、新規出店したラーメン店の店長を任された。地元のテレビ番組で取り上げられるほどの繁盛店となり、大忙しの毎日が続いた。
そうしたなかで、2016年、ある男性とつきあいはじめた。客として訪れたカナダ人の男性だった。お茶などを重ねるうちに、意気投合した。「言葉にしない思いも読みとろうとしてくれ、心配りのできる人だった」。店で寝泊まりすることもあるほど仕事は忙しかったが、週末の夜にともに過ごすなどして、2人の時間をなるべくつくるようにした。
一方で、山村さんは大きな問題も抱えていた。2人で暮らし続けるため、カナダに残りたかったが、就労ビザでは滞在できる期間が限られていて、永住権を取得する必要があった。そのためにはカナダの審査を通らなければならないが、英語がなかなか必要なレベルに達しなかった。
もともと日本では英語を使う仕事に就いたことがなく、カナダに来てすぐの頃は「ABCがわかる程度」だった。IELTSのスコアは、最高スコア9.0に対して最低の1.0。知らない言葉はすぐに調べることを習慣づけるなどの猛勉強で、5.0ぐらいまで伸ばしたが、それ以降は伸び悩んだ。
自力で突破するのは絶望的な状況のなかで、残されていた選択肢は限られていた。結婚だ。カナダでは2005年から全土で同性婚が認められた。もしくは法的にパートナー関係が認められる制度「コモンロー」を結べば、永住権を取得できる。それでも自分から言い出すことはしなかった。永住権が目的で結婚を望んでいるとパートナーに思われたくもなかったからだ。
パートナーに相談せずに、自力での突破を目指すことにこだわった。相手も、山村さんが勉強をしていても、「自分の力でがんばれ」という姿勢だった。
しかし、ある日、自宅で英語の勉強をしていると、パートナーがその様子をのぞきこんできた。だが、その日は山村さんのテキストをじっくり眺めると、こう言った。
「こんなに難しい問題だったのか。君はこのままでは日本に帰らないといけなくなるかもしれない。考えていたんだけど、結婚しよう」