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野生ライオンがいるマリのサバンナで車が壊れて立ち往生…海外旅行マニアの世界史講師が死を覚悟した“断トツにヤバかったツートップ”

代ゼミ世界史講師・佐藤幸夫氏インタビュー#3

2024/06/16

genre : ライフ, 社会

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──イランで逮捕?

佐藤 逮捕というか、確保ですかね。別に、僕が犯罪をやらかしたわけじゃないんですよ。イランに着いて、アレクサンドロス大王が破壊したペルセポリス遺跡へ行き、イスファハーンでイマーム・モスクを見て、テヘランのアメリカ大使館に向かったんです。

──なぜアメリカ大使館へ?

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佐藤 1979年に「イランアメリカ大使館人質事件」という暴動が起きたんです。革命で逃げたイランの元国王をアメリカが受け入れたんですが、それに反発して、イランの学生を中心とした市民らがアメリカ大使館の塀を乗り越えて占拠した事件です。

 その場所を探し出して、生々しく残るアメリカ大使館跡の門を撮影しようとカメラを構えたら……僕の体が突然、宙に浮いて。

©文藝春秋

──体が宙に?

佐藤 はい。首根っこをつかまれて。振り向いたら現地のサラリーマン男性で、そのまま車に押し込められました。それは弁当を運ぶミニバンだったんですが、着いて降ろされたのが警察署。

「おまえは大使館を撮影した。つまりスパイだ」と疑われていた

──「おまえ、何やってるんだ?」と。

佐藤 「アメリカ大使館の写真を撮るなんて、こいつは危ない奴だ」と思われたんでしょうね。その時に撮った写真が、1枚だけ残ってます。

1997年、唯一残っている写真。イランの旧アメリカ大使館の門の横壁にカメラを向けていたら…(本人提供) 

《DOWN WITH USA》は、ホメイニ師時代の対アメリカスローガンで、《アメリカをぶっ倒せ》みたいな意味。そんなものにカメラを向けるなんて、イラン人から見たらあやしい人以外ありえない、ということですね。

 当然、警察ではガンガン尋問されたんですが、言葉が通じなくて。ただ、やたらと僕のカメラを指すんですよ。どうやら「おまえは大使館を撮影した。つまりスパイだ」と疑われていたようです。

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