暴力団組員が、組織の維持のために徴収される“上納金”を納めないと、どうなるのか……。
沖縄ヤクザの組長を経て、現在は出家して整体師になった新垣玄龍氏の著書『任侠 愚狂に死す 闇社会から光の社会へ』(さくら舎)を抜粋して紹介する。(全3回の3回目/続きを読む)
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ヤクザの喧嘩は掛け合い
私は、子どもの頃から喧嘩は強かったですが、喧嘩といっても、腕力の喧嘩、気力の喧嘩、知力の喧嘩と、年齢や環境と共にいろいろ変わっていきます。
ヤクザの喧嘩の真髄は、掛け合い(交渉)です。暴力にパッとなるようでは、たいしたヤクザではない。勝負は場数なんです。どれくらいさまざまな場数を踏んできていて、対面してどういう言葉が出るか、どんな瞬発力があるか。その勝負です。
糸数真総長を見ていてすごいなと思ったのは、その掛け合いの迫力です。
ヤクザですから、喧嘩になります。対立する組織と、たとえば山口組と喧嘩になる。こっちの若い衆にちょっと落ち度があって、向こうにさらわれたとする。さらわれたら、ヤキをバンバン入れられる。もちろん「すみません」なんて言わない。そんなこと言ったら向こうに笑われる。
向こうは何を狙っているかというと、金です。こっちのヘタ打ったやつをどうにか金にしよう。けじめを取ろう。それで、「おまえ、この野郎」ってヤキを入れる一方で、相手の組に連絡を入れます。「こいつがヘタ打ちやがって、うちの縄張りで××して、こうなってる」という連絡がきます。さあどうする、となるわけです。
こういうときにヤクザは、いろんなことを考えます。揉めたときでもそうだし、人が刺されたとかでも、血のバランスシートだから、いろんなものを考えないといけない。それで、どうするかとなったときに、そのヤクザの器量が出ます。
言い方、やり方も戦略
うちの糸数総長を見ていて、私は、ほんとにすごいなと思った。静かに話をするわけです。自分の組のものがヘタを打って、「どうするんだ」と相手の組が迫ってくる。糸数総長は、こう言ったのです。
「もうええよ。殺して連れてこい」
「懲役行ったら、差し入れ、私もするから」
そして電話を切った。
こういうことが言えるかどうか。これが、ヤクザの掛け合いのすごいところです。
向こうは、殺しても何の得にもならない。長い懲役行ってこい、と言われても、15年行くと考えたら、頭痛くなります。そういうふうにするのが掛け合いの上手さです。