冷戦が終結するが、イラクはクウェートに侵攻。景気に陰りが見え始めた1990年。その年末に中尊寺ゆつこが「オヤジギャル」で流行語大賞を受賞し、岡崎京子の『東京ガールズブラボー』連載がスタート。翌年には桜沢エリカの出世作となった『メイキン・ハッピィ』の連載が始まった。

 先の3人に、エロを耽美で包み込んだ作風の原律子が加わり、デニムを穿いた4人がマガジンハウスの広告を飾ったのを覚えている読者もいるに違いない。

 バブル期を経て、公にされてこなかった女性の本音を軽やかに描いた彼女たちにスポットがあたった90年代とはどういう時代だったのか? 当事者である桜沢エリカさんのインタビューを、『週刊文春WOMAN 2024夏号』より一部を抜粋し掲載します。

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桜沢エリカさん ©嘉茂雅之(Iris)

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新進気鋭の漫画家4人が並ぶ、マガジンハウスの広告

――90年代の女性漫画家というと、マガジンハウスの広告に出ていた4方(桜沢エリカ、岡崎京子、中尊寺ゆつこ、原律子)が印象的です。お日様の下で本音や性を語り始めた新しい時代の女性たち、というイメージがあって。

桜沢 あの広告は、4人ともマガジンハウスから単行本が出るのでまとめて売ろう、ということだったんじゃないかなと思います。私は男性週刊誌の『平凡パンチ』で連載させてもらっていましたし、「女性が本音で語る」という趣旨の男性誌の取材もたくさん受けていたので、そのイメージが大きいんじゃないでしょうか。

『an・an』1989年12月8日号より

――そもそも、デビューが男性誌でしたよね。

桜沢 はい。アリス出版などが出していた、いわゆる自販機本といわれたエロ雑誌でした。

 高校生の時にアリス出版の編集部に遊びに行ったことをきっかけに、「なんかカット描ける?」と訊かれて女子高生のイラストや告白手記などを描いていたのがはじまりです。当時は自販機本を出していた出版社同士、横のつながりがあって、その縁で『土曜漫画』を出していた土曜出版社などからお声がけいただいて。

――そこから広がっていったんですね。当時の自販機本やエロ漫画誌から、いろんな才能が花開きました。岡崎さんのデビュー誌『漫画ブリッコ』も、全面リニューアルする前はエロ劇画誌だったとか。

桜沢 そうですね。京子ちゃんの絵は以前から見ていて、「すごい子がいるな」と思っていたから、土曜出版社で紹介してもらった時は嬉しかったです。