たとえば日本人・日本社会の特徴をどうみるかは、日本で生まれ育ったわれわれ日本人だって、それぞれ生活環境も人生経験も違うので、考えは微妙に異なる。訪日した外国人が日本人・日本社会をどうみるかも、それぞれの見聞が異なるから、違って当たり前だ。
外国について日本人が書く“解説”も、同じだろう。記者、研究者、ビジネスマン、公務・民間の駐在経験者、あるいは旅行者など、さまざまな人々が外国について自分の知っている部分の解説を数多の書物に著してきたが、どんな立場でその国のどんな階層・タイプの人と接触してきたかで、見える風景が違う。
付き合う相手が主にエリート層なのか市井の人々なのか。都会人か地方住民か。若者か老人か。旅行者なら現地の観光業者など英語がある程度話せる層に偏ることも多い。
そんな中、本書は異色のイラン社会の解説書となっている。筆者の若宮總氏は、大学院等でイランについて学び、イラン留学の経験を持ちながら、個人としてイランに長く住み、現地で仕事につき、ほぼネイティブ並みのペルシャ語を身につけて、普通のイラン社会に溶け込んで暮らしてきた。
そんな若宮氏の描くイラン人・イラン社会は、他に類を見ない衝撃的な内容である。それは、イスラム教の戒律が厳しいイラン社会の本音と建前の使い分けを、イラン社会内部から見てきた若宮氏ならではの「ホンネのイラン」論とでも呼ぶべきものだ。
なので本書には、ありがちな「敬虔なイスラム教徒の国・イラン」の姿は出てこない。かたちだけのイスラム教徒、堂々と自由恋愛を謳歌する男女、さらには隠れて酒や麻薬を愉しむ人々などの姿が、そこにはある。しかもそれがイランでは少数派ではない普通の人々として登場するのだ。
ちなみに私自身は、イランは若い頃にほんの数回行っただけだが、当時、人々がさして周囲を気にせずに独裁政権の悪口を言うなど、アラブ世界などではあまり見かけない場面に出くわしたことが何度もあった。
そんなイランは私にとっては長い間、謎の国だったが、本書で若宮氏が掬い上げているイランの人々の本音の言葉から、彼ら独特の人生観や社会背景の深層を垣間見ることができた。
本書の凄さは、単にイラン社会の矛盾という問題に止まらず、そうしたイラン社会を形成しているイラン人の心の内部の問題点にまで迫ろうとしていることだ。
若宮氏は「イランを知るためには、まずイラン人を知る必要があるのではないか」と書いているが、本書にはそんな覚悟が滲む。
しかも、イラン人に厳しいことも書きながら、目線はイランの人々への愛に満ちている。
「イラン人に自由あれ」
一見ありがちにも見えるこのラストの文が、どれほど深い言葉か。最後まで読むとわかる。
わかみやさとし/1970年代に生まれ、10代でイランに魅せられ、大学、大学院とイランのある分野を研究。留学や仕事で長年現地に滞在した経験を持つ。本書は、イランの現状、体制の暗部を描くため、ペンネームで記された。詳細は本書解説を参照。
くろいぶんたろう/1963年、福島県生まれ。軍事ジャーナリスト。『プーチンの正体』『工作・謀略の国際政治』など著書多数。