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容疑者となった外科医の息子ドルイット

 アルコール中毒、夫の死、売春、安宿からのキックアウト…。荒んだ生活を送っていた5人の女性たちを殺害した容疑をかけられたのはどんな人物なのか? 

 容疑者の一人にモンタギュー・ジョン・ドルイットという外科医の息子がいる。ドルイットはオックスフォード大学で学び、法廷弁護士を務めるエリートだったが、最後の被害者メアリーの殺害から1ヶ月後の1888年12月、テムズ川で遺体で発見される。死因は自殺とみられた。

 ある国会議員が、切り裂きジャックは「外科医の息子」で最後の殺人を犯した後自殺したと主張したことから、記者や警察は裏付け調査に乗り出したものの、ドルイットを殺人事件に結びつける確固たる証拠は見つからなかった。遺体の切断状況から犯人は医療技術があると見られていたが、ドルイットは医療技術の訓練を受けていなかった。また、ドルイットはうつ病に罹患していることを憂慮しており、弟に「私にとって一番いいのは死ぬことだ」と自殺をにおわせるメモも残していたことから、結局、自殺はうつ病に起因しているとみられたのだ。

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絞首刑になった容疑者チャップマン

 ポーランドで外科医の見習いとして働き、1887年頃、ロンドンに移住したジョージ・チャップマンも容疑者として調査された。チャップマンは、1891年、ロンドンで出会った女性とアメリカに移住したが、チャップマンに虐待されたその女性はロンドンに舞い戻り、チャップマンも彼女を追ってロンドンに戻る。その女性とは別れたものの、その後、チャップマンと関係を持った内縁の妻たちはみな、奇妙にも胃の不調を訴えて死亡、後にチャップマンに毒殺されたことが明らかになった。チャップマンは最終的に殺人罪で有罪となり、1903年に絞首刑に処されている。

 当時、ロンドン市警の警部フレデリック・ジョージ・アバーラインは「チャップマンが犯人だと確信する証拠がたくさんある」とし、チャップマンがロンドンに移住後、殺人事件が始まり、彼がアメリカに移住した後殺人が止まったと指摘した。また、警部は、チャップマンが熟練した外科医で、当時、殺人事件の現場近くに住んでいたことにも注目していた。

 もっとも、チャップマンが殺害した女性たちはみな、彼が個人的に知っていた女性たちであり、凶器が毒物で、ナイフで見知らぬ人を殺して遺体をバラバラにするのはチャップマンのやり方ではないこと、また、チャップマンは確かに手術の経験があったものの切り裂きジャックが実際に外科医だったかどうかは不明であることから犯人とは断定されなかった。

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