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男性への「わいせつ行為」で逮捕されたヤミ医師

 ニューヨークで自称「インドの薬草医」として成功していたフランシス・タンブルティにも疑いの目が向けられた。タンブルティはカナダに移住し、売春婦に中絶をさせようとした罪で逮捕されたが、その後、ロンドンに移住してヤミ医者となり、4人の男性に対する「わいせつ行為」で逮捕された。人体解剖学に興味を持ち、女性の子宮の標本を集めていたとも言われている。殺人事件発生時、タンブルティはたまたま保釈されており、タンブルティが1888年11月下旬にイギリスからアメリカへと逃亡した後、犯罪は止まっていた。

 当時の主任警部が書簡の中で「非常に可能性が高いのは、タンブルティという名のアメリカ人のヤミ医者であるT博士」と記していたこともタンブルティ犯人説に真実味を加えていた。この書簡をきっかけに、犯罪史家のスチュワート・P・エバンスはタンブルティを調査し、『切り裂きジャック:米国初の連続殺人犯』という著書を出版している。しかし、ロンドン市警が米国にタンブルティの引き渡しを求めなかったことから、容疑者としては有力視されていなかったとも見られている。

医学的知識を備えた凶暴な精神異常者

 イギリスのタブロイド紙「ザ・サン」が犯人と示唆していたのがトーマス・ヘイン・カットブッシュだ。デイビッド・ブロックという作家も「ザ・サン」が切り裂きジャックの正体を正しく推測したと確信して、カットブッシュに注目し『ジャックになるはずだった男』という本を書いている。医学を学んだカットブッシュは梅毒に罹患後、妄想に悩まされ、収容されていた診療所から逃げ出し、少女を刺す事件を犯したとされている。警察に保護され、精神病院に送られたが、1903年に亡くなるまで暴力的な妄想に悩まされ続けていたという。

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 カットブッシュが切り裂きジャックと見られたのは、彼が医学的知識を備えた凶暴な精神異常者であり、当時、殺人現場の近くに住んでいた可能性があったからだ。もっとも、カットブッシュは目撃された切り裂きジャックの身体的特徴と一致しなかったことから、警察はカットブッシュを犯人とは考えなかった。しかし、警察はカットブッシュを庇っているのではないかとも言われた。カットブッシュの叔父がロンドン市警の警視だったからだ。その叔父は1896年に銃で自殺していた。