ジャーナリストや作家に疑われた画家シッカート
近年になって、犯人ではないかとジャーナリストや作家らに注目された人物もいる。ロンドンで名を馳せ、「切り裂きジャックの寝室」と題された油絵を描いたイギリス人画家ウォルター・リチャード・シッカートもその一人だ。彼の死後、1970年代、ジャーナリストのスティーブン・ナイトは著書『切り裂きジャック:最終結論』の中で、犯人は英国王室の一員であり、シッカートはその王室の一員の共犯者だったという王室陰謀説を展開。
1990年代にも、作家ジーン・オーバートン・フラーが、彼女の母親がシッカートの同僚からシッカートが犯人だと聞いた話に基づき『シッカートと切り裂きジャックの犯罪』を出版している。
さらには、アメリカの著名なミステリー作家パトリシア・コーンウェルは2002年に出版した著書『Portrait of a Killer(邦題:真相“切り裂きジャック”は誰なのか?)』で、法医学の専門家チームにリッパーの手紙に残されているDNAを分析するよう依頼し、少なくとも1通のリッパーの手紙がシッカートのミトコンドリアDNAと結びついたと主張している。コーンウェルは2017年にも、科学分析により、シッカートが使用した紙は、リッパーが警察に送ったとされる手紙の一部に使われたものと同じであることがわかったと主張、シッカートが犯人だと確信し続けている。
DNAを根拠に疑われた理髪師コミンスキー
殺人事件当時、現場となったホワイトチャペル地区に住んで、理髪師をしていたポーランド生まれのアーロン・コスミンスキー犯人説も近年になって浮上した。売春婦を憎み、殺人傾向が強ったとされるコスミンスキーは容疑者として名前があがっていた人物だが、当時、決定的な証拠は見つからなかった。重度の精神疾患を患っていたコスミンスキーは精神病院を転々とし、1919年に亡くなっている。
そのコスミンスキーについて、2019年、法医学者が、切り裂きジャックの正体はコスミンスキーである可能性が高いとする研究論文を法医学ジャーナルに掲載した。その研究論文によると、切り裂きジャックの4人目の犠牲者であるキャサリン・エドウッズの遺体の近くで見つかったとされるショールに、コスミンスキーの存命の親族のDNAと非常によく一致するDNAが含まれていたという。
もっとも、研究者の中からは、ミトコンドリアDNAのみを対象とした分析なので、コスミンスキーを殺人犯と断定することはできないという反論もあがった。また、ショールが犯行現場にあったことは証明されておらず、たとえ証明されていたとしても殺人後に汚された可能性もあると指摘されている。
うつ病からの自殺、内縁の妻たちを毒殺、違法な中絶手術、男性へのわいせつ行為、暴力的な妄想、重度の精神疾患…。容疑者たちが抱えていた闇もまた深かった。ロンドン警視庁に送られてきた手紙には“From Hell”と記されていたが、切り裂きジャックは、確かに、地獄の中にいたのかもしれない。
事件発生から136年。5人の女性たちの魂は浮かばれることなく、ホワイトチャペル地区を彷徨い続けている。