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22歳で「学び終わり」は早すぎる

もちろん、最終学歴も極めて重要です。

文部科学省の学習指導要領に定められた所定の課程を経て、身につけるべき知識、技能を修得したということの証明となります。

現場の先生方は、やはり学習指導要領の枠内で、日々、精一杯の創意工夫を積み重ね、充実した授業を行おうと奮励努力されています。私自身も大学教員の一人として、楽しくて役に立つ授業をすべく務めています。

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しかし、「最終学歴」という言葉には、大きな違和感を覚えます。

人生の中に「学び終わり」があってよいのでしょうか?

人生100年で考えたとき、こんなにも早い時点で学ぶのを終わるというのは早すぎないでしょうか?

30代、40代、50代、60代、70代、いや、もっと年齢が高くなっても、何歳からでも、学びたいときに学べるように、学校が門戸を開くべきではないでしょうか?

また、学校だけが学びの場ではないはずです。最後の学校を卒業した後、その人が仕事の中で、あるいは、さまざまな人間関係を通じて学んできたこともまた、学歴と同様に、場合によってはそれ以上に、重要なのではないでしょうか?

人生の中の多様な学びの大切さを、もっと評価する仕組みがあってしかるべきではないでしょうか?

等々、次々に疑問が湧いてきます。

100年時代に備えて学び続けてほしい

最終学歴ももちろん価値があります。けれども重要なのは、その中身ではありませんか? その中身を吟味することなく、ただただ学歴や学校名だけが過大に珍重されていると思いませんか?

この小さな箱にすぎない学校教育を終えた後にも学び続けることが大切だということ、すなわち、「最新学習歴の更新」の重要性を広めること、それが本書を通じて私が訴えたいことです。

英語の履歴書では、学歴を表すのに、Educational Backgroundあるいは Educational Historyといった表現を用います。ここには「最終」のニュアンスは存在せず、学びの可能性は常に未来に開かれているというニュアンスがあります。