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《父・手塚治虫が心配し大島渚が驚愕》「観客を不幸のどん底に突き落とす」手塚眞監督(62)が19歳で撮った映画『MOMENT』の恐るべき展開

僕たちは8ミリ映画作家だった 手塚眞編 #3

6時間前

source : 週刊文春CINEMA オンライン オリジナル

genre : エンタメ, 映画, 社会

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―― しかもお茶の子博士として出演されて。

手塚 テレビ局の人が、いわゆる『ヒッチコック劇場』的に、監督が出ていって一言説明してからやってくださいと。ヒッチコックと言われたから、普通の背広みたいな格好で出るんだろうと思ったら、真っ赤なとんでもない衣装が用意してあって、「なんだこれは」みたいな感じで。

―― 岸田森さんとの掛け合いはとても楽しかったです。ドラキュラと共演できたというのはすごいことですよね。

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手塚 そうなんですよ。ちょっとビックリしました。同じ楽屋でね。

とても勉強になったテレビバラエティでの経験

―― 手塚さん以外にも8ミリ仲間が監督しました。

手塚 2シーズン目に入って、ちょっと1人でやるのはしんどいなと思って。テレビ局的にも少しバラエティ色を出してほしいという希望もあったので。

―― 犬童(一心)さんが殺人鬼を演じた作品は強烈でしたよね。

手塚 そうですね。あれは小林(弘利)さんが撮った。テレビ局とプロの制作会社、あれはナベプロでしたね。そういう方々とも一緒に仕事ができて、テレビのやり方、プロの考え方、あるいは視聴者と番組の関係とか、いろいろ勉強になりました。その後にいろんな仕事をするためには非常に役に立ちました。

―― 自主映画との違いを体験できたんですね。

手塚 そうですね。映画業界とテレビ業界も全然考え方が違うし。特にバラエティ番組ですからね。

―― そういう意味では手塚さんの場合、自主映画から映画業界じゃなくて、テレビ業界を経て映画業界という感じなんですね。

手塚 たまたまそこにテレビが一回入ったということなんです。商業映画デビュー作『星くず兄弟の伝説』は元をたどれば『MOMENT』からなんです。『MOMENT』を見て気に入ったテレビ局の人が、近田(春夫)さんの番組で取り上げてくれた。そこで近田さんも見て気に入って、「一緒に映画をやろうよ」と言ってくれた。

注1 『もんもんドラエティ』 1981年10月からテレビ東京で放送された全30回のバラエティ番組。

注2 原口智生 『異人たちとの夏』の特殊メイク、『ガメラ』シリーズの造型。『さくや妖怪伝』『デスカッパ』の監督、特技監督。

《父・手塚治虫が心配し大島渚が驚愕》「観客を不幸のどん底に突き落とす」手塚眞監督(62)が19歳で撮った映画『MOMENT』の恐るべき展開

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