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「映画監督になったらいけないんじゃないか」手塚眞監督(62)が“ヴィジュアリスト”を名乗るきっかけになった“巨匠の存在”

僕たちは8ミリ映画作家だった 手塚眞編 #4

4時間前

source : 週刊文春CINEMA オンライン オリジナル

genre : エンタメ, 映画, 社会

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『MOMENT』を見たミュージシャンの近田春夫氏から「一緒に映画をやろうよ」と声をかけられて始まった『星くず兄弟の伝説』。当初は「月1で夜ライブハウス上映」のカルトムービー企画だったが、次第に方針が変わっていって……。好評インタビューシリーズ第3弾の最終回。(全4回の4回目/#1#2#3を読む)

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初の商業映画『星くず兄弟の伝説』

―― 『星くず兄弟の伝説』は一般映画として公開された最初の作品ですね。

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手塚 近田(春夫)さんが最初におっしゃっていたのは、「これは映画館じゃなくてもいい。ライブハウスでもいいんじゃないか」と。その代わり、月に1回必ず夜上映しているみたいな。要するに、カルトムービーを作ろうと思っていたんです。その頃、『ロッキー・ホラー・ショー』が、どこかの映画館で毎月1回上映されて、そこに好きな人だけ集まってみんなで盛り上がるみたいな流れがあって、そんなことをやりたいんだとおっしゃっていたんです。

 僕はそれでもいいと思っていたんです。でも、途中からやっぱりそうじゃいけない、ちゃんとビジネスとして成立させなきゃいけないんだという話になって、近田さんは背広とネクタイ姿で、プロデューサーです、ということになった。映画業界じゃない人間、音楽業界とか学生とかそんな人だけが集まって、自分たちでお金を集めて作るということでは、たぶん今のインディーズにつながる一番最初の映画かなという気がします。

『星くず兄弟の伝説』販売元:アップリンク

ライバル同士のミュージシャン、シンゴ(久保田しんご)とカン(高木完)。ある日大物プロデューサー、アトミック南(尾崎紀世彦)にスカウトされ、二人はスターダスト・ブラザーズとしてデビューし人気沸騰!ファンクラブ会長の少女マリモ(戸川京子)や大物政治家の息子を巻き込み、陰謀渦巻くTOKYO CITYでスターダスト・ブラザーズをめぐり上へ下への大騒ぎ!果たして彼らの運命はいかに…? DVD解説文より

―― 現場はプロ体制のスタッフだったんですか?

手塚 プロでも、助手のクラスの人が多かったんです。一本立ちするために、何かいい仕事がないかと考えていたようで。カメラの大沢さん(注1)なんかそうですね。ずっと阪本善尚さんに付いてきて、1本目で『星くず』をやったという感じなんです。

―― 8ミリと違って、スケジュールの管理とか、窮屈なところもあったかなと思うんですけど。

手塚 そこはみんな甘かったんですよ。みんな若かったから勢いだけでやっていたので、一応スケジュールは立ててはいたんだけど、到底ハマってないんです。始めてみたら徹夜徹夜の連続で「これ、本当に終わるのか」みたいになっちゃって。

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