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ヴィジュアリストという肩書き

―― その後、『妖怪天国』など商業映画を撮り続けますが、映画監督という肩書きでなく、ヴィジュアリストと名乗られていますよね。

手塚 学生から独学でやってきて、いきなり映画監督になったらいけないんじゃないかというような気持ちがあったんです。いろんな思いがありました。例えば黒澤明さんの映画を見に行って、「これが映画だ。黒澤さんこそが映画監督だ」と思うと、学生映画でポロッとやっていた自分が並んじゃいけないような印象はすごくあったんです。映画は作りたいけど、別に無理に監督と名乗らなくても映画を作ればいいんじゃないかと思って。で、試しにヴィジュアリストというので始めてみたら、ちょうどいろんな映像メディアが広がる時代に重なったんです。ビデオもあるか、コンピューターもあるよ、みたいになっていった時に、いろんなメディアを使える肩書きだと。その頃は「映画監督たるものはそんな仕事はしちゃいけない」みたいな思いを持った人が多かったんです。めんどくさいから、ヴィジュアリストと言ったら何でもできると。非常に拡張性があるから、それで何となく使い始めて、それで今まで来てしまったという感じで。

©藍河兼一

―― 自主映画と商業映画を比較して感じることはありますか?

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手塚 僕は8ミリにはこだわり続けたんです。富士フイルムがシングル8の生産を中止して、現像もストップして、完全にできないところでやむなくやめましたけど。『MOMENT』が終わった時、8ミリである必然性って何だろうと考えたんです。8ミリの良さを生かし続けるとしたら、もうアートしかあり得ないと思ったんです。この質感と色味とか、8ミリの感触だからこそ表現できるものを作るには、映像を中心にしたものをやっていくしかない。ドラマではなくて、アート的なものにずっと使っていたんです。