途中で自主映画から商業映画に変わったギャップがあった
―― 出来上がって自分の評価はいかがでした?
手塚 正直に言って、できあがった瞬間に、「これはちょっとな」と自分で思ったんですよ。仲間内の完全な自主映画で、月に1回上映だったらこれでオッケーと思ったんだけど、全国の劇場映画ということで考えると、ちょっとこれは考えが甘かったなと思いましたね。
―― 制約のある体制の中で作品を作ることに戸惑いはありましたか?
手塚 もちろん学生映画だってスケジュールは立ててやるんです。むしろプロのスタッフが入ってきたことで、少し甘えちゃったんだと思うんですね。プロもいるんだから、自分は監督としてやればいいぐらいに思っちゃった。学生映画とか自主映画は自分で全部管理しなきゃいけないじゃないですか。だから、そこである種の厳しさも出てくるんだけども、それがなくなった分だけ、とりとめがなくなった気がします。自分でどこまでやっていいのかも分からないし、しかも近田春夫さんが「手塚の言うことを全員聞け」みたいなことを言われたんですよ。だから、余計に歯止めが利かなくなったところはあります。
―― 8ミリ時代は手塚さんが直接やっている部分が多かったですからね。
手塚 もっと簡単なことでいいよ、というのが通用しなくなっちゃったというのはある。8ミリだったらこんなの5分で撮れるよ、みたいなことを、彼らは何時間もかけて準備したりするから。そこは初めてテレビ局のビデオのスタッフと一緒に『もんもんドラエティ』をやった感覚に近いんです。ただ、途中からはずみがついてきたら、頭が柔らかくなっていって、「これはこういうことだね」と割り切ってやってくれるようになりましたけどね。それにしてもみんなよく頑張ってくれた。普通だったらあんなに徹夜してたら途中で止まっているはずなんだけど、「最後までやり切ろう」と。それは若さの力だなと思いましたね。
―― 自主映画でできなくても、プロが参加すると大掛かりなこともできる。メリットとデメリット両方あるのかなと思います。
手塚 そうですね。規模と内容というのはすごく重要な関係あるんですよ。往々にして、企画を立てる時と完成した時で製作の話が変わっているケースが多いんです。『星くず』も最初は「ただの自主映画だよ」と言われて、終わる頃には「これは商業映画だよ」と言われたという、そのギャップがあって、そこに僕が追い付けてないんですね。そこが一番の問題だったんだろうとは思います。