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「映画監督になったらいけないんじゃないか」手塚眞監督(62)が“ヴィジュアリスト”を名乗るきっかけになった“巨匠の存在”

僕たちは8ミリ映画作家だった 手塚眞編 #4

6時間前

source : 週刊文春CINEMA オンライン オリジナル

genre : エンタメ, 映画, 社会

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 その一方では、きちんと商業的に作っていく作品というものもやっぱりちゃんと極めていった方がいいと考えて。その習作として、『白痴』を作ったんですね。あれは大作過ぎたんですけれども。そっちはそっちでちゃんと勉強し直そうと。セットを組んで、俳優を呼んで、何カ月もかけてゆっくり撮影するとはどういうことなんだと。そうやって映画を作るってどういうことなんだって。本当に極端に両側なんですけど、それをずっとやり続けているというのが今の自分ですね。

―― 8ミリ出身監督というのは、自主映画は通過点で商業映画へ進むのが普通ですけれども、手塚さんの場合、自主映画は通過点ではなく、両輪なんですね。商業映画でドラマをやり、自主映画でアートをやる。

手塚 ドラマとアート、その両方ができるのが最初の高校生の8ミリだったということで。そこで両方を勉強できたからこそ、今も両方に行けてると思います。

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注1 大沢栄一 撮影技師。『三毛猫ホームズの推理』『モーニング刑事。』など。

てづか まこと 1961年東京生まれ。父は漫画家・手塚治虫。成蹊高校在学中に8ミリで映画製作を始め、大島渚監督を初めとする映画人の高い評価を得る。日大芸術学部在籍中から映画、テレビ、ビデオを初めとする様々なメディアで活躍。映画を中心としながら、小説やデジタル・ソフト、イベントやCDのプロデュースも手掛け、先進的な内容やスタイルが注目されている。主な作品に『星くず兄弟の伝説』『妖怪天国』『白痴』『ブラックキス』『ばるぼら』など。

こなか かずや 1963年生まれ。高校、大学で8ミリ自主映画を撮り、『星空のむこうの国』(86年)で商業映画デビュー。主な作品に『四月怪談』(88年)、『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(06年)、『七瀬ふたたび』(10年)など。昨年自身の8ミリ自主映画時代を描いた『Single8』を発表。

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