小説というメディアの巨大さに驚いた高校時代
――さて、今作家になって11年。あっという間ですね。小説を書き始めてからは何年になるんでしょう。
道尾 小学5年生の時にはじめてミステリー小説を書いて、そのあともメモか落書きみたいなものをたくさん書いていたんですけど、真剣に書き出したのは大学2年生かな。絵本は17歳の時ですが。
――絵本というのは、のちに刊行された『緑色のうさぎの話』(14年朝日出版社刊)ですよね。小説を書き始めたきっかけは。
道尾 小5で小説を書きながらも、僕じつは高2くらいまで小説なんてちゃんと読んだことがなかったんですよ(笑)。国語の教科書さえまともに読んだことがなかった。音楽や絵のほうに夢中になっていた時期が長くて。なぜかというと、小説というあの薄くて四角いものの中には単なる物語が入っていると思っていたんですね。それを味わうんだったら、たとえば映画を観れば、ページをめくる必要もないし、2時間で終わる。そのほうがいいと思っていたんです。でもためしに読んでみたら、そこに入っていたのはお話じゃなかった。こんなにすごい世界がここに閉じ込められていたのかって、メディアの巨大さにびっくりして、それが本当にカルチャーショックでしたね。それで夢中になっていろんなものを読み始めたんです。川端康成、太宰治、遠藤周作、横溝正史、都築道夫、阿刀田高さんとかを読んで。それが10代後半ですね。
それで、10代特有の壮大なる勘違いをしたんです。自分が書いたもののほうが面白いに違いない、っていう(笑)。それまでも自分で曲を作ったり絵を描いたり、人形を作るのに夢中になった時期もありましたけれど、はじめて「ほらやっぱり自分の作品のほうがいいじゃないか」と思えたのが小説でした。それは世界中で僕だけが言っていることで、100人いたら100人が小説家が書いたもののほうが面白いと言うんですけどね。でも僕が面白いと思うのは、僕が読みたいものだからなんです。今読みたいものが、目の前に出来上がりましたという。
――最初の頃はどういうものを書いていたんですか。
道尾 大学生の頃は阿刀田さんの影響で、ブラックユーモアだったり奇妙な感じのショート・ショートを書いていたんですね。あとはインターネットに自分のホームページを持っていたので、推理クイズのコーナーなんかも作っていました。前篇だけアップして、真相を推理してメールやWordファイルで送ってくれた人にだけ、後篇をお送りしますというシステムで。その頃まったく本格推理というものを知らなかったんです。実際に「読者への挑戦」といった形式が存在するんですよね。知らずにやっていたことがほんとに存在したんですから、そりゃあのジャンルの小説が好きになるはずですよね。
――その後就職をしてもずっと書き続けて。
道尾 都築道夫さんの影響で怪奇小説の短篇をたくさん書いていた時期もありました。でも、やっぱりプロになるには長篇を書かなきゃ駄目なんだと気いて、それで初めて書いた長篇が『背の眼』(05年刊/のち幻冬舎文庫)だったんです。