現実と虚構の境界線きわきわを走る鉄輪の女。だが実際にいたことは間違いない事実だ。それどころか、かつて京都には何百何千人もの鉄輪女が丑の刻ランしていたのだ。はい、論破!的証拠もある。

 鉄輪井戸から徒歩30分足らず東の〈清水寺〉。

清水寺 夜間公開 ライトアップ

“清水の舞台”の柱に点々と

 有名な国宝の“清水の舞台”の柱に点々と釘跡が虫喰っていることに気づく人は稀だ。真夜中でも人知れずここに忍び込めた時代、無数の鉄輪女が藁人形を打ちつけにやってきたのであった。嘘みたいな本当の話とはこういうことをいう。

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清水寺 丑の刻詣り跡

 この寺の鎮守社(「ちんじゅしゃ」土地の護り神)である〈地主神社〉にも同様の釘跡がいっぱいついた一願成就の杉と呼ばれる切り株が境内の片隅にどっしりあぐらを掻(か)いている。ここの境内は、おまじないテーマパークのような空間だが、おそらくはこの大木に集まった鉄輪女たちが起源ではないか。注意深く京都の社寺を観察してゆくと彼女らがすがった呪いの名残は実に数多い。

 モノホン(笑)は顔に朱を、身体に丹(水銀から作る赤い塗料)を塗り、髪をニカワで固め三本の角に見立て、王冠のように五徳(ごとく。囲炉裏に据えてやかんや鍋などを置く足つきの鉄の輪)を冠り、蝋燭を灯して、口に松明をくわえ、白い死に装束で都大路を駈け抜けた…とされる。呪術的な意味はなくて、どちらかというと鬼女に「なりきる」ための早い話がコスプレである。

清水寺 夜間公開

 だが鉄輪女がうじゃうじゃいた時代もそこまで本格的なコスプレイヤーは少なかったと想像する。むしろ人目に立たぬ姿で五寸釘を打つ場所へ向かったはず。でなければ「あそこの娘さん丑の刻参りしたはるえ!」てな噂があっという間に広がってしまう。京の口コミ情報ネットワークを侮ってはいけない。