1ページ目から読む
3/3ページ目

「おまえがもう一回監督をやるべきだ」

 もう深夜になっていたが、立て続けに電話がかかってきた。バレーボール関係者やマスコミの方々だった。みなさん試合を見て、私と同じ感想を持ったのだろう。切迫した声で「パリまで3年しかない」「眞鍋、おまえがもう一回監督をやるべきだ」と言うのだ。もちろん危機感はわかる。でも、私はもう監督を辞めた人間だ。現場に戻ることはまったく考えていなかった。

「とんでもない。ぼくには無理ですよ」と話したが、その翌日も、また次の日も、いろんな方から電話がかかってきた。みなさん一様に、「もういちど監督をやれ」と言う。それでもひたすら固辞し続けた。ところが最後、ある方からこう言われたのだ。「眞鍋、もし次のオリンピックに出場できなかったら、日本の女子バレーはマイナースポーツになってしまうよ」

 その一言は私の胸に突き刺さった。ロンドンでメダルを獲ってからすでに9年、その間、私の監督時代も含めて、日本女子はこれといった結果を出せていない。その危機感があればこそ、私はプロチームを立ち上げ、日本バレーの底上げのために尽力してきた。

ADVERTISEMENT

 ただ、トップチームが弱ければ、世間の注目度は下がっていく。東京オリンピックで観客のいないアリーナを見たときの寒々しさを思い出した。母国開催で決勝トーナメントに進めず、次はオリンピックに出ることすらできない。万が一そんな事態になれば、ファンからも見限られてしまうかもしれない。バレーを心から愛し、バレーに育ててもらった人間として、バレーボールがマイナースポーツになる姿は見たくない。

 ヴィクトリーナ姫路で取り組んできたことも、女子バレー自体の人気がなくなったら、水泡に帰してしまう。

©文藝春秋

火中の栗を拾う覚悟

 とはいえ、東京オリンピックの最中、解説者として冷静にいまの代表を見て、「次の監督は苦労するだろうな」と思っていたのも事実だ。世界の選手が大型化する中、日本代表の平均身長はロンドン、リオのときよりむしろ低くなっている。そのハンデを克服するのは並大抵のことではない。荒木が引退することで、ロンドンで銅メダルを経験した選手もいなくなる。私が監督になったとして、どれだけのことができるだろうか?

 私は普段からポジティブシンキングで、あまり悩まないほうだ。でも、東京オリンピック後の1~2ヶ月は本当に悩んだ。

 東京オリンピックの惨敗を見れば、他の監督候補たちは二の足を踏むだろう。一方の私はロンドンでメダルを獲らせてもらい、みなさんから賞賛され、バレーボールというスポーツからたくさんのものを受け取ってきた。自分の実績を上げることにはもう興味はない。代表が危機に瀕しているなら、火中の栗を拾う覚悟で立ち上がらなければならない。

 当時、私はすでに58歳。パリオリンピック予選のときには還暦を迎える。おそらくこれが最後の挑戦になるだろう。バレーボールへの思い、日の丸への思いを胸に、私は代表監督の選考に再び名乗りをあげることにした。