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アプリによって失われるもの

 社会学者エヴァ・イルーズは、親密な関係性が経済モデルに侵食される傾向に警鐘を鳴らします。今日では、パートナー選択がますます合理化モデルに依拠するようになり、ウェブ恋愛はその「道具化」を加速させていると指摘するのです(Eva illouz, Cold Intimacy)。

 マッチングアプリはあらかじめ「条件の合わない人」を排除できるため、リスクが少なく合理的な手段だと認識されるでしょう。しかし、効率性を求め自分の利益を最大化しようとする行為が支配的になれば、人はあらかじめ自分自身にとって「価値がある」と考えた人とだけ交流することになりかねません。

「コスパ」や「タイパ」を重視し、学歴や年収、外見などの条件で相手を絞り込むことが、既存の価値観をかえって強化していないかという懸念です。すでに存在する「スペックの社会的序列」がいっそう固定化される可能性があるように思います。

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 アプリは人々を「最適解」へと導いてくれます。しかし、そこで失われるのは偶然性です。

 人は他者との偶然の出会いや関わりのなかで、絶えず価値観の修正や刷新をおこなうものです。しかし、固定化された最適解に従うことで、自分に合わない(と思い込んだ)他者への理解や自分自身が変わる可能性が阻害されてしまいます。

 そもそも最適解とはあくまでその時点における個人から導き出されたものにすぎません。それが長い目で見て本当に最適解であるという保証はないのですが、このことが省みられる機会が奪われ、自由を奪われることがあるように思います。

 さらに指摘しておきたいのは、個々人の合理的行為が社会全体に合理的に働くとは限らないということです。

 実際、マッチングアプリの普及はそれほど成婚率に寄与していないという調査結果もあります。婚姻件数全体に占める「アプリでの出会い」の割合は増えていても、婚姻数の増加にはあまり貢献していない可能性も指摘されます。

 個々の単位で見たときには合理的な行動であっても、皆が同じような行動をとってしまうと、全体としては悪い状況がもたらされてしまうことを「合成の誤謬」といいます。

 各人が効率的にパートナー選択をおこなっていると考えていても、それが社会全体のマッチングを効率化するとは限らないのです。

 各人が持っている初期傾向がより固定化される結果、全体においてマッチングの「非効率」が生じるわけです。