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「生命は利己的」とは思えない

福岡 ええ、ドーキンスの主張は、「生命は利己的で遺伝子を増やすことだけが唯一無二の目的であり、そのためにすべてのことが最適化されている」というものでしたが、やはりそうとは思えない点が多々ある。たとえばコウモリを見てみると、たくさん血を吸ったコウモリは、同じ洞窟に腹を空かせた仲間がいれば、親子やきょうだいであるかどうかは関係なく、その血を吐き出して分け与えているんですよ。

小川 利他的に生きているのですね。

福岡 生命系全体を見回してみると、植物は光合成をして太陽のエネルギーを有機物に変えていますが、もし植物が利己的に振る舞って自身に必要な分しか光合成をしなかったら、昆虫や動物は生育できず、地球は豊かな星にはならなかったでしょう。動物にしたって「弱肉強食」というと優勝劣敗のように見えますが、食う食われるの行為は実は利他的で互いに他を支えている。食われる側は増えすぎずにすむし、食う側もエサがなくならないよう、一定のところで止める。同じ空間で共存するためにバランスをとっているんです。

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小川 「食う、食われる」とは少し異なりますが、古着などを仕入れて売り歩くタンザニアの行商人は、客から「今子供が病気で払えない」などと言われて取引がツケになることがあります。何度も回収しに行くのですが、その都度言い訳されたりして回収できないこともある。そもそも帳簿をきちんとつけていなかったりするんです。でも、彼らは“助け合い”を前面に押し出してはいません。実は、商売の場面での駆け引きはあるんです。売り手側も「これ以上値下げすると、俺は今日のご飯が買えないよ」などと同情を誘うような交渉をし、今お金に余裕のある客からは多めにもらい、余裕がない客には赤字でも売るといったことを当たり前のようにやっているんですよ。

タンザニア商人の生活に溶け込む小川さん

福岡 それで行商人はプラスマイナスゼロになるわけですね。

小川 最終的に安い値段で売った場合、表面上は「交渉に負けた」とか「相手の嘘に騙された」と見えてしまいますが、彼らは「もしかしたら自分は相手を助けたのかもしれない」と思っている。逆のパターンで、話芸を駆使して高い値段で買ってもらった場合も「上手くやり込めたかもしれないけれど、もしかしたら客に助けてもらったのかもしれない」と心の中で感じていたりする。そういった認識の中に曖昧だけれど信頼関係が成り立っているんです。

福岡 バーコードでピッと会計するだけで何の交渉事もない私たちの買い物と違い、タンザニアでは、非常に高度な生命と生命とのやりとりが広がっているんですね。