『利己的な遺伝子 利他的な脳』の翻訳を手掛けた福岡伸一さんが、タンザニア商人の商習慣を研究する小川さやかさんと対談。現代社会を生き抜く術を利他の視点から考える。

小川さやかさん、福岡伸一さん

行商人の商習慣を研究

福岡 今年の東大の国語の入試問題に小川さんの論文「時間を与えあう――商業経済と人間経済の連環を築く『負債』をめぐって」が出題されました。東大が第一問の評論文に女性筆者の文章を出題したのは、戦後新制入試が始まって初だそうです。

小川 正直なところ「女性初」は認識していませんでした。試しに問題を解いてみたら、自分の文章なのに苦戦しました(笑)。「100字以上120字以内で説明せよ」とあったんですが、著者はあれこれと悩みながら書いているので、この文字数に収めるのは難しいですね。

福岡 小川さんは、タンザニアの都市・ムワンザや香港のタンザニア人コミュニティに入り込み、行商人の商習慣を研究されてきたそうですね。その記録を読むと、私の考える生命の利他性とつながるので、ぜひお話をしてみたいと思っていたんです。

ADVERTISEMENT

 今回私が翻訳した『利己的な遺伝子 利他的な脳』は、アメリカの脳神経科学者ドナルド・W・パフ先生の著書で、最新の知見をもとに利他性が生命系全体に備わっていることを説いたもの。それは「本能」という言葉で表現されがちですが、本書ではもう少し解像度の高い言葉で生物学的に解き明かそうと試みています。

『利己的な遺伝子 利他的な脳』集英社

小川 「自他の区別が曖昧になっていくことによって利他的行動が生み出される」という趣旨の記述は特に興味深かったです。文化人類学では観察対象となる社会に入っていく際、対象者と同じものを食べ同じように行動する。そうやって真似するうちに対象者の考え方や物の感じ方を身体的に了解していくのです。

福岡 西洋社会と近代科学が作り上げてきたパラダイムは、アイデンティティつまり自己があるのは自明であり、その上で他者が存在するという考え方。ただ、生命のことを考えてみると、自己はそんなに明確なものではないんですよね。むしろ同じホモサピエンスとして同じ遺伝子やウイルスだって共有しているし、脳にはミラーニューロンのように他者の振る舞いが自分のものとして認知できる仕組みもあります。

小川 本書の主張とは真逆ですが、20世紀には、リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子論」が流行しましたよね。