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社会全体に利他性への信頼が必要

福岡 ええ、科学は万能だと思われているけれど、そうじゃない。科学は「どのようにしてそうなるのか」という「How」の疑問文には答えられますが、「なぜそうなるのか」という「Why」の疑問文には答えられないんです。たとえばガンでいえば、「ある成長因子の遺伝子が変化して細胞が暴走するから」という発ガンのメカニズムは説明できても、「どうして他の人ではなく私がガンになってしまったのか」という謎は解けない。だから、真の科学者は科学には限界があるということを知っており、決して断定はできないし、最終的には確率でしかものがいえないんです。呪術や妖術のように、科学万能主義を補完するものがある社会は、科学だけを信じている社会よりもむしろ成熟しているかもしれません。

小川 一般的には呪術や妖術は「伝統的」というイメージだと思いますが、それらは資本主義経済の発展によって拡大したという考え方もある。資本主義経済により急に貧富の差が出て「なぜあの人だけ成功して自分はこんなに不幸なんだ」という状況になると、それを補う論理が必要だから、と。利他の話に戻ると、『利己的な遺伝子 利他的な脳』には、「人間の脳は利他的なメカニズムを持っていると私たちが信じることによって、社会が変化しうる」という趣旨の話がありましたね。

福岡 そこにも「Why」と「How」が絡んでいるんです。人間の脳が利他的にできているメカニズムを研究するのは「How」の疑問文を解くということ。ですが、本書は「Why」の答えにも到達しようとしています。生命本来が持つ利他性の原理に立脚すれば、私たちが抱える諸問題にアプローチできる。分かり合えないように思える他者でも生命として同じホモサピエンスであるという基盤を共有すれば、そこからのアプローチがあると提言しているんです。

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小川 そのためには社会全体に利他性への信頼――「ついでにやってあげられる程度の状況があれば人は助けてくれる」という信念が必要ですね。文化人類学者のデヴィッド・グレーバーのいう基盤的コミュニズムへの信頼があるといいと思います。たとえば、食卓で「そこの醤油取って」と言われたらサッと取ってあげるし、「今ここで醤油を取ってあげたから、相手は私にいいことをしてくれる」なんて思わない。私たちの日常にも本来は「その時たまたまできる人ができる範囲で助けてあげる」という基盤がある。それは「たくさんいる知り合いのうちの誰かは自分を助けてくれる」と語るタンザニアの人々とさほど変わらない。基盤的コミュニズムがなければ、その上に成り立つ資本主義や社会主義のシステムも上手く機能しないです。