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「おばあちゃんが漏らした糞尿を掃除していた」小学生で“寝たきりの祖母”を介護…元日本代表・武田修宏(57)が明かす“ヤングケアラー時代”

武田修宏さんインタビュー #1

8時間前
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武田さんがサッカーを始めた“きっかけ”とは?

――どのようなきっかけで、サッカーを始めたのでしょう。

武田 ちっちゃい頃は野球寄りだったんですよ。親父が野球やってたし、中日ドラゴンズがキャンプで浜松によく来てたし、ドラゴンズのパジャマを着てたしね。だけど、浜松は野球チームがなくて、あってもリトルリーグだけ。

 でもサッカーに関しては、盛り上がっていたんですよ。清水FCっていうジュニアサッカーの選抜チームが圧倒的に強くて、全国制覇していて人気があって、全日本少年サッカー大会(現:JFA 全日本U-12サッカー選手権大会)に清水FCが出ているのを見て「サッカー、やりてえな」って。そもそも2つ上の兄貴がサッカーをしていて、それで俺も一緒にやるようになったんです。

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――スポーツは、サッカーだけを。

武田 小6の時は、サッカーをやりつつ、陸上とバスケットもやってて。足は速くて、小6で50メートルを5秒9。だから陸上では、200メートルは市で3位になったし、バスケも市で3位になってた。中学に上がってからは、陸上とバスケでスカウトが来てたね。

 

――スポーツ全般が出来る子供だった。

武田 親父の運動神経が良くて俺も受け継いだとか、そういうわけでもなく。なぜかわからないけど、運動はできたんですよ。

 学校から帰ってきて、おばあちゃんが大丈夫そうだったら、サッカーをやりにすっ飛んでいってました。ほんと、サッカーで寂しさとか苦しいことが紛れてましたね。だんだんと大きくなるにつれてサッカーで忙しくなって、家にもいなくなるんだけど。

サッカーで忙しかったからグレる暇がなかった

――とにかく、サッカー。

武田 地元の人とかに聞いたら、いまだに言うと思うよ。「いつも武田君は、学校が始まる1時間前に来て、1人で壁にボールを蹴ってた」とか。延々と壁に向かってボール蹴ってたから、シュートがうまくなりましたからね。

 小4で浜松JFCっていう選抜に入って、小6でナショナルトレセンのメンバーに選ばれて、そうなると休みの日もサッカーじゃん。毎日、学校が終わったらサッカー、土日もサッカー、ヘトヘトになって家に帰ったら飯食って寝る。

 高学年の頃には、母親も家にいられるようになったのもあって、ひたすらサッカー。たぶんサッカーと出会ってなかったら、悪い方向へ進んでたと思いますね。サッカーで忙しかったから、グレる暇がなかった。

 

――学校は荒れていましたか。

武田 時代的なものもあるけど、当時は小学校も荒れてましたね。通ってた浜松市の中学も、浜松でも1位、2位を争うほど荒れていた中学だったし。

――中学2年生のときには、全日本選抜中学生サッカー大会で優勝を。

武田 3年生でジュニアユースの日本代表(U-16)に選ばれて、シンガポールでやったライオンシティカップに出て、得点王になって。

――少学校時代から天才サッカー少年と称されていたわけですが、両親は応援を?

武田 親父も母親も嬉しがってましたね。ジュニアユース日本代表(U-16)に入った時は、母親が皿を作ってみんなに配ってたね。今も、その皿が残ってるけど。でも、俺は思春期だったから「試合とか見に来なくていいから」とか言ってましたね。

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