最後まで開戦に反対し続け、昭和18年、前線視察の際ブーゲンビル島の上空で戦死した山本五十六。日本人はなぜ悲運の名将に惹かれるのか。ここでは『昭和の名将と愚将』(文春新書)より一部抜粋。その理由を半藤一利、保坂正康のふたりが解き明かす。
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なぜ日本人は山本が好きなのか
保阪 しかし、これだけ、戦後、山本五十六が有名になったのも、ヒーローとして語られていくうちにいろんな逸話が神話化されていったからだと思うんです。実際にリアルタイムでの山本の評価というのは、どんなものだったんでしょうか。
半藤 真珠湾攻撃の時点では、国民はそれほど知らなかったはずですよ。大戦果の発表後に「連合艦隊司令長官は山本五十六大将なり」とラジオで聞いた覚えがある。
保阪 すると、その頃から山本の名前が国民に浸透していくわけですね。
半藤 国民レベルでいえば、稀代の名将ですよ。何せ、ミッドウェー海戦だって負けてないですから。ガダルカナルだって転進と言ってごまかされた。
保阪 そうやって国民レベルでは伏せられていたわけですね。
半藤 後に言われる山本と天皇がツーカーだったというのも作り話のようですね。12月1日に御前会議で開戦が決まり、3日に山本が呉から上京してくるんですが、このときの「小倉庫次侍従日記」によれば、山本の拝謁は、10時45分からの5分間だけです。これでは肝心なことは何も伝えられませんよ。
保阪 しかし、真珠湾攻撃のあとしばらくは、天皇が勅語を出しつづけますよね。そのなかでも連合艦隊に対しては、特によく出しています。だから、天皇が山本を信頼していた様子はあるように思いますが……。
半藤 これは、推定の域を出ませんが、もし、天皇が山本を信頼していたとすれば、それは、昭和14年に米内光政、山本、井上成美のトリオが三国同盟を潰したというのが非常に印象に残っていたんだと思います。この三国同盟が一度立ち消えになったことを、天皇は非常に評価しています。
保阪 ひいては、現在における山本の評価にも結びついていますよね。やはり、アメリカの国力を把握した上で、対米戦を避けようとしたという点が大きい。彼は、大正14年にアメリカに駐在武官として赴いたときに、その工業力に圧倒されて、こんな国と戦争するべきではないと言ったそうですね。