陸軍の中からでてきた「山本を切れ」という意見

半藤 これは、長岡中学の講演で言ったと、地元の人からも聞いたことがありますよ。山本は、三国同盟に反対したので右翼なんかにも相当脅されたようです。米内海相は、ああいうおおらかな人ですから、陸軍に喧嘩を売るようなことはいわない。井上軍務局長はもっぱら海軍部内をしっかりと抑える。もっぱら平気で陸軍を悪しざまにいうのが次官の山本なんです。だから、山本が一番憎まれた。

保阪 陸軍の中にも、山本を切れという意見が出て、護衛がついて、もしものときのために遺書も認め、金庫に入れていた。

半藤 それが、「あに戦場と銃後とを問わむや」という有名な遺書です。つまり、戦場で死んでも、ここで死んでもおんなじだと。それだけの決意で対米戦争を回避しようとした。もし、対米英戦をやるのであれば、海軍軍令部がなんと言おうと自分のやり方で戦争をしようとしたのが、真珠湾攻撃なんです。

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保阪 原則的な立場で言えば、軍令部が作戦を策定して、連合艦隊はそれを遂行するべきところ、連合艦隊が勝手に作戦を立てて実行しているのですから違反行為といわれても仕方ない。軍令部総長の永野修身のOKがあったとはいえ、長期的視野に立ってなされるべき戦争が、こういう形で始まったことは、非常に問題ですね。

半藤 山本さんの悲劇は、自分の反対する戦争の陣頭に立たねばならなかったことです。ですから、早期終結のために真珠湾攻撃をあえて言えば失敗を覚悟して考えたのです。

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保阪 でも、これだけ中枢部に反対派がいて、連合艦隊長官の作戦が採用されたというのも不思議な話ですよね。

半藤 それも山本の悲劇で、瓢箪から駒で、どうせ軍令部が反対しているからつぶれると思っていた。9月の図上演習の段階ではまだまだもめている。それで、10月に東條内閣が成立したのと同じ頃に、やっと承認される。そうなると軍令部が命令書を出して一気に準備が始まる。

保阪 海軍は以前からアメリカを仮想敵国にしていましたが、それは、南洋での戦闘を考えていたんですよね?