半藤一利さん『日本のいちばん長い日 決定版』は、玉音放送までの24時間を描いた傑作ドキュメントとして名高い。その「昭和史の語り部」半藤さんには、実はもう一つの『日本のいちばん長い日』と言うべき作品がある。それが開戦の日までの熾烈な国際外交交渉と、開戦の日の24時間を描いた『[真珠湾]の日』である。

 本書より一部抜粋して、真珠湾攻撃の日における、日米双方の緊迫感あふれる事態の推移を紹介する。第1回は、真珠湾攻撃の報を受けたにもかかわらず動きの遅いアメリカの首脳部が持っていた日本人への偏見についてである。(全4回の1回目/続きを読む

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“真珠湾攻撃”の報らせにも緊迫感のないアメリカ首脳部

 こうしてアメリカの首脳部は、午前9時から10時すぎ(編集部注:ここではワシントン時間)にかけて、なぜか、ブラットン大佐(注:当時の陸軍情報部極東課長)の言葉ではないが、「ガッデム(くそっ)」というほかないのろのろとした動きをみせている。だれもが平常どおりである。日本からの、解読ずみの“開戦通告〞の覚書全文と手交時刻指定の訓令とを手にしていながら、この緊迫感のなさ、悠長さ。危機意識をかすかにもみせていない。その根底にあるものは、日本人にたいする侮蔑感のみ、と考えざるをえない。

 事実はどうなのか。ここで少し脱線することを許してもらいたい。当時のアメリカ人の日本人観について、である。あるいは人種差別について、である。

零式艦上戦闘機

 たとえば米陸軍情報部は昭和16年10月に「零式(れいしき)艦上戦闘機」(ゼロ戦)にかんする推定を文書化している。それによれば、その速力、回転性能、戦闘力などの情報はすべて実際よりはるかに下回って推定されている。また、この年の12月には、零戦を中心の日本の戦闘機の生産は、月産400機を上回っていたが、アメリカ軍中央はこれを200機がやっとと見積っている。

 そして、日本海軍の軍艦は一事が万事、イギリスの軍艦をまねた劣悪なコピーにすぎない、と語る軍事専門家が多かった。日本の航空機は三流品であり、パイロットの腕は無残そのもので、イタリア以下だというのが、航空機畑の将校たちの口癖であった。