太平洋戦争開戦の日までの熾烈な国際外交交渉と、開戦の日の24時間を描いたドキュメント『[真珠湾]の日』は、「昭和史の語り部」半藤一利さんの、もう一つの『日本のいちばん長い日』と言うべき作品である。

 本書より一部抜粋して、真珠湾攻撃の日における、日米双方の緊迫感あふれる事態の推移を紹介する。第3回は、真珠湾攻撃の一報を聞いた当時のアメリカ人たちの反応である。(全4回の3回目/最初から読む

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ルーズベルトは20分間、ロブスターの獲り方を得意げに話した

 世界各国の首脳たちが、「真珠湾攻撃さる」のニュースに驚愕しているころ、午後3時すぎ(日本時間午前5時すぎ)、ワシントンでは大統領の招集による戦争会議がひらかれている。スチムソン、ハル、ノックス、スターク、マーシャルが出席したが、同席のホプキンズが会議の様子を伝えている。

笑うルーズベルト大統領

「協議の雰囲気は緊張したものではなかった。なぜなら、私の考えでは、われわれ全部が考える敵はヒトラーであるということ、武力なしには決してかれを打ち破りえないこと、遅かれ早かれわが国が参戦しなければならないこと、そして日本がわれわれにその機会を与えてくれたことを信じていたからである。しかしながら、だれもが戦争の重大さと、それが長期にわたる苦悶となるであろうということに、意見一致した」

 実に正直な観察であり、書きようである。実際に会議は「緊張した」という言葉とまったくかけ離れた、いってしまえば余裕綽々(しゃくしゃく)たる雰囲気のもとにはじまった、といっていいようである。大統領は実に20分間にわたり、メイン州のロブスターの獲り方の極意を閣僚たちに得々として話した。この有名なエピソードは決して作り話ではない。

「大統領の陰謀」論者のいうように、参戦するために太平洋艦隊を平気で犠牲にした上で、多くの国民が死んでいるのに目をつぶったままで、はたしてエビの獲り方に打ち興じていられるものか。できるとすれば、ルーズベルトは超人というほかはない。