職業的講演者として、中国人女性とともに講演旅行でアメリカ中を飛び回っていた石垣綾子(いしがきあやこ)は、その日、マサチューセッツ州ピッツフィールド市の市民講座で話すことになっていた。ニューヨークからのバスがこの市に着いたのは午後4時ちょっと前、「全市をあげて興奮の怒りに包まれていた」と石垣は回想する。会場をとり囲んで、いきまく人びとがジャップの彼女の来るのを待ち構えていた。
「日本の女が演壇に立ったら、殴りつけてやる」「生かして帰さん」
そんな怒声がシュプレヒコールのようにつづき、主催者側は石垣の身の安全のために州の軍隊の動員を要請しなければならない有様となった。
短絡的にカッと熱くなるのは、アメリカ人も日本人も同じ
アメリカ人には、チビで出っ歯で近眼で、目は開いているのか眠っているのかわからない日本人が、世界最強の海軍に攻撃を仕掛けてきた、そのことがもう不遜(ふそん)であり、許せないことであり、不可解なのである。ありえないことがありえた、ということは、不愉快きわまる。そこから流言となって「背後にヒトラー」説がひろまった。「ナチが計画し日本人にやらせた」という断定である。ナチス・ドイツの手先への憤激である。ラジオを聞き、号外を読んだだけで、まだ被害の程度がどれほどのものか知らぬうちに、彼らはもう愚かで無謀な日本への憎悪を燃えたぎらせた。
検閲のカーテンは決して日本人の目ばかりを塞いでいたわけではない。アメリカ政府も完全に真珠湾の被害についてはその直後にあっては誤魔化した。「若干の艦船の損害を受けたが、日本軍の被害は甚大」と発表しただけである。そして永い間、大惨敗などとは思ってもいなかった。したがって、アメリカ人は完敗にショックを受けて、「リメンバー・パールハーバー」と、憤怒を日本に向けたのではない。では、何故か、となれば、やはり当時の人種差別にゆきつくことになる。うまく煽ったルーズベルトの戦略勝ちということになろうか。このへんのことはかなり日本人は誤解しているようである。
その優越を誇るアメリカ民衆が、完膚なきまでにやられた真珠湾の被害を知り、それが「開戦通告なしの暴力」と知れば、ひとつにまとまって、国民的熱狂をひき起すであろうことは目に見えている。フランスの哲学者アランがいう「戦争の真の原因は国民的熱狂にある」は、真理と思われる。それにしても、短絡的にカッと熱くなる点において、アメリカ人とは、何と日本人とよく似ていることか。首脳たちが開戦口実に悩むことなど何一つなかったのである。