これは、牟田口個人の問題という以上に、日本軍全体にはびこっていた認識だったのかもしれない。対米英戦開戦時、南方に向かう日本軍将兵は誰もが一冊の小冊子を携えていた。『これだけ読めば戦は勝てる』という、70ページからなるポケットサイズの冊子だ。
「勝って兜の緒を締めよ」とはならなかった
英軍を初めて相手にするマレー作戦やシンガポール攻略に際して、戦いの意義から船中での過ごし方、戦闘の各段階の解説までを平易な文章で記したもので、移動中の船内で将兵全員に配付されたという。作成者は「大本営陸軍部」となっているが、実際には1941年当時、台湾軍に在籍していた辻政信参謀が中心となってとりまとめたものである(辻政信『シンガポール─運命の転機─』)。
そのなかに「敵は支那軍より強いか」という項目があり、こう記されている。
「今度の敵を支那軍に比べると将校は西洋人で下士官兵は大部分土人であるから軍隊の上下の精神的団結は全く零だ、唯飛行機や戦車や自動車や大砲の数は支那軍より遥かに多いから注意しなければならぬが旧式のものが多いのみならず折角の武器を使うものが弱兵だから役には立たぬ、従って夜襲は彼等の一番恐れる所である」(『これだけ読めば戦は勝てる』p.15)
「上下の精神的団結は全く零」「弱兵だから役には立たぬ」といったあたりに、植民地軍としての英軍に対する侮りがうかがえる。しかも、序盤の南方戦線で英軍が早期に降伏したことで、日本軍の将兵はこれに書かれているとおりだと思ったとしても不思議ではない。
「勝って兜の緒を締めよ」とはならなかったのである。