進路を考えるうえで、大田は帝京の前田三夫監督から、「下位にはなるだろうが、指名はあるはずだ」と聞かされていた。それゆえ、プロ志望届を提出して運命の日を待った。結果は横浜ベイスターズが3位で大田を指名する。

「高校野球を不本意な形で終えたからこそ、プロで絶対に成功するという気持ちでした。根拠のない自信といえばそれまでですが、環境が変わればピッチングの内容も変わるんじゃないかなって。自分に才能があるとは思わなかったけど、体がでかいっていうのは、プロに入ってからもアドバンテージになると思っていました」

プロ野球DeNA時代の大田阿斗里 ©時事通信社

「自信のあるストレートを看板まで運ばれてしまいました」

 1年目の春季キャンプにおける初めての休日。大田は高卒でプロになった同期と一緒に一軍キャンプに足を運んだ。当時、ベイスターズに在籍していた大ベテランの工藤公康やエースの三浦大輔など一軍メンバーのブルペンでの投球を見た一行は、帰りの車の中でみなが黙り込んだ。一軍投手のボールを目の当たりにし、言葉を失ったのだ。

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「捕手のミットが構えたところから動かないし、投球が研ぎ澄まされていた。投球のテンポがよくて、白球がミットに収まる音も聞いたことがない破裂音だった。つい、見とれてしまいましたね。これはとんでもないところに来てしまったぞ、と」

©橋本篤/文藝春秋

 1年目の08年シーズンが始まり、大田は二軍の巨人戦(ジャイアンツ球場)に登板した。コンディション調整で二軍にいた二岡智宏やイ・スンヨプら主力選手と対戦して、めった打ちに遭う。

「調子が悪いから二軍にいるんだろうなと思って投げてみたら、自信のあるストレートをイ・スンヨプに右中間にあった『ジャイアンツ球場』と書かれた看板まで運ばれてしまいました。二岡さんにもアウトローの140キロ台後半のボールを簡単に打ち返されてしまった。高校時代と同じような方法では全く通用しないということを痛感して、もがきはじめました」