クライミングの練習ができる場所はほとんどなかった

――スポーツクライミングは今や都市型スポーツとして若者中心に人気が急上昇。現役時代の野口さんの足跡とクライミングの人気は、(わだち)を一つにしているように思います。

©松本輝一/文藝春秋

野口 そう言っていただけると嬉しいですね。たしかに私が競技を始めた頃は、スポーツクライミングのことを多くの人が知らなかったし、練習場もほとんどなかった。

 クライミングの楽しさを知ったのは小学5年生。たまたま家族旅行で行ったグアムのショッピングモールにクライミングウォールがあった。登ってみたら楽しくて……。日本でもやりたくて父に施設を探してもらったけど近所にはなく、土日に車で1~2時間かけて、東京・錦糸町やつくば市の施設に父に連れて行ってもらっていました。

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幼い頃の野口さん(写真=本人提供)

 そのうち、毎週遠出する時間がもったいないと、当時牧場を経営していた父が、牛舎の一角を改造しクライミングの壁を作ってくれたんです。それから毎日のように、学校から帰るとすぐ壁に向かっていましたね。

「クライミングって何?」学校のみんなの反応

――小学校6年の時に出場した全日本ユース選手権で、中高校生に交じり優勝。天才少女と騒がれました。

野口 いやいや、出場する選手が少なかっただけ(笑)。クライミング人口が極端に少ない時代ですから。でも、それまで遊び感覚でやっていたのに、勝つ喜びを知ってからはますます夢中になりましたね。中学時代には日本代表として世界ユース選手権にも出場。でも、クライミングをやっているとは友達にも言っていませんでした。

©松本輝一/文藝春秋

 高校1年の時に世界選手権のリード種目で3位になり、校長先生が結果を朝会で報告してくれたんです。するとみんな「そんなことやってたの!」と驚きつつも「でも、クライミングって何?」みたいな反応でした(笑)。

 日本人女子で初めてW杯に優勝した大学1年の時に、自分の将来について結構悩みました。それまでクライミングは趣味の延長だったけど、世界を舞台に戦うにはそれ相応の覚悟が必要。当時はプロで活躍する先輩もいなかったし、競技に専念するためにプロになっても活動の仕方も分からない。分からないけど、とにかくやってみようと大学を中退しました。