「記録文学の巨匠」吉村昭氏は、戦史文学でも非常に優れた多くの作品を遺した。『戦艦武蔵』『帰艦セズ』『深海の使者』『総員起シ』などがその代表作だが、その圧倒的リアリティを支えたのは、氏がたった一人で行った太平洋戦争体験者への膨大な数の証言インタビューだった。

 その数多の録音テープ記録から、選りすぐり9人の証言を集めた『戦史の証言者たち』。本書から、2回も沈没した数奇な運命を持つ伊号第三三潜水艦が引き揚げられた際に、内部を撮影したただ一人の新聞記者・白石鬼太郎氏の証言の一部を紹介する。(全2回の第1回/後編を読む)

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「死臭というか、油の臭いというか…」

吉村 どこをあけたんですか。

白石 第一ハッチです、潜水艦の。

吉村 作業員が何人ぐらいでハッチをあけたんですか。

白石 二人だったと思います。

吉村 他社の記者たちも、見守っていたんですか。

白石 そうです。潜水艦の甲板の上にいて、見ていましたよ。

吉村 作業員が、まずハッチの中に入っていったんですね。

白石 いえ、入りません。入ろうかどうしようか、ためらっていました。

吉村 ハッチのふたをあけたら、悪臭が出てきたんですね。

白石 そうです、悪臭。

吉村 どんな臭いでした?

白石 死臭というか、油の臭いというか……、もうなんともいえん臭いですよ。作業員は、「ワァーッ」といって、すぐにはなれましたよ、みんな。それに、魚雷発射管室には、魚雷がある。その魚雷が、いつ振動かなにかの刺戟で爆発するかもしれんから、サルベージ会社の人たちは慎重を期していたんです、非常に……。その場で解体するんだったらポンポン、ポンポンこわして、スクラップにすりゃあいいんですが、そんなことでもしたら、約十本の魚雷が連続的に爆発する。だから慎重、また慎重ですよ。一応、サルベージの作業員が二人であけたが、さてどうしようか、みなためろうておりました。そのとき、ぼくは、司令塔の近くにおりました村井氏(編集部注:当時、白石氏が勤めていた中国新聞松山支局長)に「ぼく、中へ入って撮影してきますわ」と言うて……。

白石鬼太郎氏

吉村 村井さんは、驚いたでしょう。

白石 そうらしいです。村井氏は、「あぶないで、魚雷がようけい(たくさん)あるのに……」と言いましたので、私は、「まあ、ええで。軍隊で死んだって思えばそれまでですわい」と、まあ冗談まじりに、半ば覚悟決めて言ったんです。

吉村 そうしましたら、その作業員の人は……。

白石 制止しましたよ、「あぶない、待ってくれ」って。「あぶなくない、ええ、ええ」と言って入ろうとした。作業員が、魚雷があるから、フラッシュなんかたいたら爆発するぞ。たいちゃいかん、といわれたんです。