米軍側は「激しい戦いにはなるが、短期戦で終わる」

 西浜に接近してくる米軍の大型船艇は、海岸線から約2キロの地点で、上陸用船艇や水陸両用車などを卸下した。

 彼らはウィリアム・ヘンリー・ルパータス少将率いる第2海兵師団である。ガダルカナル島やマリアナ諸島の戦いで、日本軍に勝利を収めてきた精鋭部隊であった。

 ルパータスは1889年11月14日の生まれ。ワシントンD.C.の出身である。海兵隊養成学校を卒業した後、第1次世界大戦に従軍。第2次上海事変の際には、第4海兵連隊の大隊長を務めていた。日米戦争勃発後は第1海兵師団副師団長に任命され、ガダルカナル島の戦いに参戦。その後、師団長に昇進し、ペリリュー島の戦いに臨んでいた。

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 この上陸作戦に際し、米軍側も厳しい訓練を重ねていた。上陸作戦の主力を担う部隊は、サンディエゴ港を出航した後、ニューカレドニア本島に寄港。同島で上陸演習やジャングル戦の訓練を実施してから、ラッセル諸島のパヴヴ島に移動した。同島でも演習を繰り返し、さらには制圧後のガダルカナル島でも訓練を重ねた。そのような準備に自信もあったのであろう、ルパータスはペリリュー島の攻略に関し、

「2、3日で片付く」

 と口にしたとされる。総じて米軍側は「激しい戦いにはなるが、短期戦で終わる」と認識していた。

写真はイメージ ©︎AFLO

 しかし、そこには慢心もあった。米軍はペリリュー島の地形に関して、航空写真から密林や渓谷の位置などは把握していたが、地下に伸びる洞窟の存在についてはほぼ認識していなかった。それどころか最前線の海兵隊員たちの多くは、地図さえほとんど見たことがない状態だったのである。それまで連戦連勝だった米軍側に、過信があった点は否めない。まさかこの戦いが、「アメリカ海兵隊史上、最悪の死傷率」と言われるまでの戦闘になるとは、この時点では誰も予測していなかった。