提訴後、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」が作られ、判決後には「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」が制定される。そして1994年には、「被爆者援護法」が制定されている。

被爆者の認定がなお不十分という声もあるが、制度は少しずつ作られてきている。日本被団協は「この裁判は、被爆者援護施策や原水爆禁止運動が前進するための大きな役割を担った」と評価している。

この判決が被爆者援護法につながり、国際的にも評価された

原爆裁判の記録を保管している日本反核法律家協会会長の大久保賢一弁護士は、60年前の判決をどう評価するかと問われて、賠償を認められなかったのは残念だが、この判決がその後の国内と海外に与えた影響は大きいと指摘する。

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「判決が日本の原爆被爆者行政に寄与したことは間違いありません。また国際司法裁判所で参照すべき先例として位置づけられ、1996年に『核兵器の使用、威嚇は、一般的に、国際法に違反する』とした判断枠組みが、東京地裁の判断枠組みと共通しており、原爆裁判の影響を見て取ることができます」(清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』)

大久保弁護士は核兵器の問題は、まさにいま世界が置かれている状況と直結しているという。「いまだにロシアがウクライナへの侵攻で核兵器の使用をちらつかせるなど、危機は続いています。核兵器の使用が国際法に違反すると明確に述べた判決が持つ意義は、現代も失われていないと思うのです」(前掲書)

山我 浩(やまが・ひろし)
作家
東京都生まれ。1969年明治大学文学部卒業後、出版社山手書房入社。編集長として『自分の会社を持ちなさい』(竹村健一著)、『リーダーシップの本質』(堀紘一著)、『殿と重役』(ジョージ・フィールズ著)などのベストセラーを手掛けた。現在は独立し、幅広いジャンルで執筆活動を続けている。著書に『安藤百福物語』(毎日ワンズ)など。