私のマネージャーをしていた母が、どうしても私にやらせたいと言っていた役があります。戦争中、鹿児島県の知覧町にあった陸軍飛行場の近くで「富屋食堂」を切り盛りしていた、鳥濱トメさんの役です。トメさんは、若い特攻隊員の身の上話を聞いてあげたり、軍の検閲に通らない手紙や遺書を預かって家族に送ったり、出撃が決まった隊員には、最後に食べたい物を無料でご馳走してあげて、“特攻の母”と慕われた女性です。
そして今年(令和3年)『特攻兵の幸福食堂』というドラマに出演が決まりました(NHKBSプレミアム)。トメさんがモデルで、私はその思い出を語る家族の役。身が引き締まる仕事です。
「特攻隊員を送り出したのは私たち一人ひとりです」
明日死に行く若者に、好きな物をお腹いっぱい食べさせてあげることしかできない。「ご馳走さまでした。思い残すことはありません」と言って去って行く後ろ姿を、見送ることしかできない。それはどんな気持ちでしょう。おいおい泣くわけにもいかないのです。
私の叔父は中国大陸で戦死しましたし、周りには特攻隊員になったものの終戦で助かった人もいます。小学生の私も竹やりの訓練をして、空襲警報が鳴れば防空壕に避難しました。目の前に焼夷弾が落ちたわけではないけれど、戦争は我が身に沁みついています。本物の弾は飛んで来なくたって、いろんなものが飛んで来るのが戦争なのです。
そうした道を歩いて来た私たちの世代は、この幸せの意味を感じなければいけないし、語らなければいけません。軍部が悪かったとか言いますけど、特攻隊員を送り出したのは私たち一人ひとりです。戦争が正しいと信じた責任はないのか。いまの私たちも、何か間違ったことをやらされてはいないか。そんなことを考える季節です。