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 しかし、後はただでは転ばないタイプの人間だったようだ。初版では具体的な醜聞が描かれているのに対し、後の版では醜聞はボカされているが責任者について記述してある。両者を合わせて読むと全体像がわかる構造になっている。後の怒りは相当のものだったようだ。

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 方面軍司令部が逃げ出した後、ラングーンに置き去りにされた軍人の中に、更なる方面軍の恥部を目撃した人物がいる。ラングーンの高射砲部隊にいた小宮徳次少尉は、方面軍司令部が逃げ出した後、戦闘用物資調達のために貨物廠に出向いたところ、最高級品の日本酒やビルマで最も良質とされた英国煙草のマスコットが山積みにされていたのを目撃している。

 この少し前、ラングーンの兵士に恩賜の煙草が大量に支給されていた。煙草としての価値はマスコットに遥かに劣るが、それでもこれまでほとんど支給されなかったのに突然の大盤振る舞いに兵士は訝しんだが、後に方面軍司令部が逃げ出したことを知って事情を察した。

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 菊の御紋が入った恩賜の煙草を投棄するわけにいかないため、ラングーン脱出にあたり貨物廠の在庫を置き去りにした部隊に放出した。多くの兵士達はそう察した。しかし、より価値の高いマスコットや日本酒は隠したままであった。この行為に対し、残留部隊はかえって不信感を軍首脳に抱くようになったと小宮少尉は書き残している(小宮徳次『ビルマ戦 : 戦争と人間の記録 前篇』現代史出版会)。

「これでは日本は負ける。兵隊は死ぬことができぬ」

 前後編と通じて、ビルマ方面軍の料亭・慰安婦を巡る醜聞について記述した。牟田口中将の遊興話はよく知られているが、その上級部隊であるビルマ方面軍も相当の腐敗が蔓延っていたとみられる。だが、数々の腐敗は多かれ少なかれ、日本軍の他の部隊にも存在している。なぜビルマ方面軍麾下の部隊に限って、これほど不正が後世に伝わっているのか。

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 インパール作戦中止後、他の戦線からビルマに回された部隊が多数ある。その一つ、野戦重砲兵第5連隊の下級将校の証言が伝わっている。

 昭和十九年(引用者注:1944年)十月、野重五連隊がタンビザヤのゴム林に舎営していたとき、第二大隊本部の通信係将校・氏家官少尉(熊本県出身)が、業務連絡のためメイミョーの第十五軍司令部に出張した。出張から帰ってきた彼は、その目で見てきた司令部上級将校の夜の乱行ぶりを語り、「これでは日本は負ける。兵隊は死ぬことができぬ」と嘆き憤っていた。下士官出身であった氏家少尉は、イラワジの戦線で戦死した。私はあのときの氏家少尉の、涙をうかべた憤りと悲しみの眼を思い出す。 

出展:浜田芳久『ビルマ敗戦記』図書出版社

 前編での辻参謀と同じく、外部からやってきた軍人にとって、ビルマでの乱行ぶりは目に余ったようだ。下級将校に「日本は負ける」とまで言わせた司令部の乱行ぶり。一体、彼は何を見たのだろうか。