――ご家族にとっても青天の霹靂だったかと思いますが。
友寄 告知のときは、横にいた母の方が取り乱していたので、逆に自分は冷静になっていく感じもありましたし、「ほら、仮病じゃなくてやっぱり病気だったじゃん」って、意地悪く思う自分もいました。
母に当時のことを聞くと、「目の前に出された何十枚もの書類にひたすらハンコを押したことは覚えているけど、あとはほとんど記憶がない」と言っています。
3つ下の弟もいるんですけど、今、レントゲン技師を目指していて。それはやっぱり、自分の病気が多少なりとも影響しているのかなと思います。
白血病になったあと、男の人からたくさん告白されたワケ
――周りのお友だちにも白血病についてすぐ伝えられたのでしょうか。
友寄 その話で言うと、病気のことを話したら、男の人からすごい告白されたんですよ。
――「付き合ってください」みたいな、恋愛的な告白ということですか?
友寄 そうです。どういうこと? ですよね(笑)。たぶんですけど、皆ドラマの主人公になりたかったのかなって。
――「俺が彼女を救う!」みたいな?
友寄 当時、携帯小説ブームで『恋空』とかが流行ってたので、“病気の彼女を支える俺”みたいな酔いしれ感があったと思うんです。
――グロテスクですね。
友寄 病室に突然告白しに来て、「俺が支えるよ」って(笑)。こっちはドン引きだし、男性への不信感が募りました。
あと、抗がん剤の副作用で顔がパンパンに腫れる「ムーンフェイス」になっていたときにお見舞いに来てくれた友だちは、「思ったよりふっくらしてて安心した」とか、「食べられてる証拠だね」って声がけをしてくれたんですけど、実際の私は全然ご飯も口にできなくなってて、栄養は点滴で取っていたし、手足は棒のような状態だったんです。
抗がん剤治療と並行して輸血も開始
――闘病中、その後もお友だちとコンタクトを取っていたのでしょうか。
友寄 「これは薬のせいでね」と言いだせなかったし、友だちは高校生でおしゃれを楽しんでいる中、自分は外見も変わり果ててしまっていて。そこからは精神的に自分を守るため、家族以外は面会謝絶にして、友だちとは会わなくなりました。
――治療は抗がん剤が中心だったのでしょうか。
友寄 私の場合は抗がん剤治療だけでうまくいったのでそれで進めていったんですけど、抗がん剤は正常な白血球や血小板も破壊してしまうので、治療と並行してずっと輸血も受けていました。
というか、抗がん剤治療より先に、まず輸血でしたね。